黒人もアルビノも関係ない。善意の差別について思うこと

はい、ようこそいらっしゃいました。

 

 

最近よくニュースで

差別についての記事をよく見ます

 

人種差別

男女差別

障がい者差別

 

色んな差別問題について

ボヤ騒ぎを見つけてはニュースにしてますね。

 

特に人種差別、その中でもとりわけ黒人差別に関しては

いささか敏感過ぎるんじゃないかって個人的には思うんですけどね。

 

この前もダウンタウンの番組で

黒塗りメイクが問題になってましたけど

 

あれは現に黒人の方が気分を害されたとのことで

テレビ局が謝罪するという事態になりましたね。

 

あの件は内容が笑いを誘うものなだけに

当事者が気分を害することもあり得るわけですけど

 

ひと昔前やとラッツアンドスターだかシャネルズだかが

黒塗りメイクで歌ってましたけど

あれも批判を受けて黒塗りメイクを辞めたみたいです。

 

でも彼らは笑いを誘うわけでもなく単に歌の上手い黒人に憧れて

本場のカッコイイ世界観を伝えるためにやってただけやと思うんですね。

 

 

そんな無邪気な子供みたいな行為に対して

そこまで目くじらを立てやんでもいいと思うんですよね。

 

 

言わせてもらえば当の黒人サイドも人種差別してますからね。

 

有名ラッパーのウィズカリファなんかは歌詞で

「煙で目が韓国人みたいに細くなった」

みたいなこと言って問題になってましたけど

 

当の本人は「おいおい待ってくれよ」みたいな

「そんなつもりじゃないんだから落ち着けよ」みたいな反応でしたよね。

 

 

被害者としては敏感なのに加害者としては鈍感なわけですよ。

 

まぁウィズカリファが被害者として

敏感に差別を叫ぶかはわからないですし

 

他の敏感な黒人の方がアジア人差別をするのかもわからないんで

この議論はあまり意味ないんですけど

 

ちなみにウィズカリファの歌詞が差別的かどうかは

「日焼けしすぎて肌が黒人みたいになった」

という表現が差別とするのであれば歌詞も差別になると思います。

 

僕はあの歌詞にそんなピクっとは来ないですけどね。

 

 

だからまぁ最近の風潮としては

ちょっと差別的な言葉や表現にちょっと敏感過ぎるんじゃないの

って思いますね。

 

大して不快に思ってないけど指摘しておこう、みたいな。

 

まぁそれが被害者側の人間ならまだいいですけどね

昨今は関係ない第三者が首を突っ込んで

問題でないものを問題にしてるパターン

 

もしくは、炎上に加担してるパターンが多いんじゃないかって思います。

 

 

前置き的なのが長くなりましたけど

今回言いたいことはこの善意の第三者についてです

 

差別の定義と立場

まず最初に

 

「何をもって差別と言うのか」

 

これを定義しないと議論が進まんと思うんで

ここで提案しておきます。

 

これはサッカーの乾選手がスペインで受けた

差別的行為についての記事で述べられていて

 

なるほどと思ったので採用させてもらいます。

 

差別の定義

1.言葉自体

2.ニュアンスや流れ

3.本人がどう捉えるか

4.本人の属する集団がどう捉えるか

 

この4つを軸に議論されてました。

 

1番は例えば、”イエローモンキー”なんかは

黄色人種の差別用語ですよね。

 

“目が細い人”この言葉自体には

差別要素はなく、特徴を表現しただけです。

 

このように言葉自体に差別要素があるかどうかが1番

 

 

2番のニュアンスや流れ

これは文脈や発言者の表情や言い方ですね。

ちょっと判断が難しいですけど

悪意があるかどうかが基準になってきます。

 

 

3番の本人がどう捉えるか

これはそのままですね。

悪意が無くても本人が傷ついたら謝るべきですね。

 

 

4番の本人の属する集団がどう捉えるか

これは同じ人種の人とか同じ障害を持った人

男性陣と女性陣のような括りですね。

 

これはほとんどの場合SNSとかで

影響力を持った人の言動に対して適用されることになりますね。

 

この4つの要素が分かりやすいので

これを基準に話を進めていこうと思います。

 

あとは立場

 

これはすごく重要で

加害者の意見

被害者の意見

関係ない第三者の意見

 

どの立場からの発言によるかで

解釈のされ方が変わってくるので

 

差別を語る時は立場を明確にしないといけないと思います。

 

これから語ることは

僕は第三者としての意見を述べるので

 

説得力がない部分もあるし

批判される部分も出てくると思いますが

 

それも覚悟の上で語っていきます。

 

 

第三者が騒ぎすぎ

まず僕が言いたいのは

関係ない4番の集団にすら属さない第三者が

害虫駆除をするかのような正義感でそれっぽい発言をスキャンしては

火に油を注ぐような行為が目立ってるように思います。

 

つい最近もニュースになってたんですけど

人気YouTuberのよききさんが

「アルビノになりたい」って言って炎上してました。

 

動画の中で彼はアルビノの方をとても美しく思ってて

憧れてるから、せめて髪の毛だけでも白くしたみたいなんですね。

 

この動画を見た人からは

「アルビノの方に失礼」

みたいな叩き方をしたんです。

 

まぁ僕が見た限り、動画の中で彼は美容院で

「アルビノになりたいっす」

って言った後、編集で美容師さんの反応を

「何言ってんだコイツ…」

って吹き出しを入れてたんですけどね

 

その理由はわからないです

「アルビノ」という言葉がマイナーやからか

一般的にはアルビノを否定的に捉えてるという考えがあるからか

 

わからないですけど、少なくとも

「変なことを言っている」

という意識があるからこその吹き出しのハズなんで

 

そこの部分に反応する人は多いでしょう

ってのが僕の見解ですね。

 

炎上しても仕方ないなって

 

 

ただね、その炎上したコメント欄にも多かったんですけど

 

健常者の第三者が正義感を振りかざして

「本人の気持ちも知らないのに不謹慎」

みたいな知った口をきく輩が多かったんですよね。

 

コメント消されてたっぽいんで

反対派の意見は見れへんだんですけど

 

「私アルビノですけど、美しいって憧れてもらえるの嬉しい」

って意見も多かったんですよね。

 

 

よく「それは差別だよ!」って

被害者を守るつもりで発言する第三者いますけど

 

当の本人たちはそのつもりが無くて気付いてないのに

その正義の一言によって傷ついてしまうなんて

よくあると思うんですよね。

 

「え、そんな風に思ってたの」みたいな。

 

 

僕の小学の時、障害を持った生徒が何人かいたんですけどね

 

みんなでスポーツする時とか心優しい健常者の生徒達が

「手加減してあげないと」みたいなことしてたんですけど

 

僕はずっと「平等に接するべきじゃないの?」って

違和感を感じてたんですよね

 

 

実際さっきの動画のコメントにも

「腫れ物扱いされるほうが傷つく」

って意見が多かったです。

 

 

「それは差別だ!」って指摘する人

 

それはその人に差別の意識があるわけで

 

善意であっても

いや、善意だからこそ

直接加害していなくても差別という目に見えない存在を

作り出してしまっていることに気付かないといけない

 

 

別に指摘するなって言ってるわけじゃないです

 

正義感からくるその行為自体は尊いものです。

 

ただ、自分も「善意の差別をしている」

という意識を持って発言した方がいい

 

 

最近の世の中を見て

そんな風に思いました。

 

特に、1億総ツッコミなんて言いますけど

粗探しをするかのように差別的状況を見つけては

炎上に加担してる人が多い気がするんで

 

 

息苦しい世の中になったもんですねw



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