無一文からスプレーアートとヒッチハイクだけで日本一周

日本一周

 はい、ようこそいらっしゃいました。

 

今回はSunnyの旅の出発点である日本一周について

サラッとおおまかに話していきます。

 

タイトルにもあるように無一文でスタートして

移動は全部ヒッチハイクでした。

 

本当に無一文です。財布を置いて家を出ました。

いや、財布はワケあって持っていきましたけどw

中身は空っぽです。

 

期間は3ヵ月半です。ちょうど3ヶ月と14日で終わりました。

これが短いと感じるか長いと感じるかは人それぞれですけど

僕にとっては「あっという間なのに振り返ると3年分」って感じでしたね。

 

それだけ濃かったってことです。

要はラーメン次郎みたいな旅ですわ。食べたことないけど。

 

無一文スタートやヒッチハイク、期間の3ヶ月というのは理由があるんですけど

それも含めてこれからじっくり語っていきますね。

ちょっと長くなると思うんで、お酒でも用意して読み進めてください。

 

きっかけは世界一周

日本一周

 

元をたどるときっかけは世界一周ですね。

日本一周のきっかけが世界一周ってちょっと変ですけど。

 

僕はもともと世界一周をしようと思って

スプレーアートを覚えたり色々準備していたんですけど、

世界一周をしようと決めてから旅系のイベントに足を運ぶようになりました。

当時は東京に住んでいたのもあって、そういうイベントが割と多かったですね。

 

で、イベントに参加するなかで、後々僕の計画を大きく変更することになる

とある青年と出会いました。

 

ヒッチハイクの旅宣言の19歳の青年S君

日本一周

 

S君とは旅に興味がある人が集まるパーティーで知り合いました。

 

彼はその時点では旅はしたことがなくて、

彼の友達の勧めでヒッチハイクで日本を旅すると言ってました。

 

僕は電波少年をリアルタイムで見ていた世代で、

猿岩石やドロンズがヒッチハイクで旅をする企画を楽しみに見ていたので

ヒッチハイクがどんなものかは知っていました。

 

いや、まぁヒッチハイクを知らない人はいないと思いますけどw

 

念のため言っておくと、道路わきで親指立てたり行き先書いた紙もって

知らない人に乗せてもらって移動するアレです。

 

で、彼からその話を聞いた時は

「へ~すごいね、頑張って!」ってぐらいでした。

僕は世界一周しか見てなかったので

その時点ではヒッチハイクで旅をしようとは思わなかったですね。

 

ところが、後になってS君のこの体験が僕の心を大きく刺激しました。

 

自ら財布を捨てて日本一周を達成したS君

日本一周

S君と出会ってから間もなく、彼はヒッチハイク日本一周の旅に出ました。

Facebookで彼の動向はチェックしていたんですけど、

旅が進むにつれて旅がどんどん面白くなるのが伝わってきましたね。

 

数ヶ月の旅を経て彼が晴れてゴールした時、

日本一周の旅を通じて得たものをみんなに伝えたいということで

トークライブが開かれることになったので迷うことなく参加しました。

 

トークライブではS君と、

S君にヒッチハイクを教えた友達T君が壇上でトークをしていました。

 

S君は最初は普通に旅の資金を持ってスタートしたんですけど

旅の途中で立ち寄ったお店の店主に心揺さぶられて財布を捨てました。

 

財布を捨てたって言うとちょっと語弊があるんですけど、

その店主がもの凄い人で、

まぁどんな内容か忘れちゃったんですけど、

とにかく店主が東北の被災地にボランティアに行くから

色々な流れがあって所持金を全部店主にあずけたんですね。

 

で、その日からS君は無一文で旅を続けることになりました。

 

無一文でヒッチハイクをしているので、

彼を乗せたドライバーから色んなものを恵んでもらったんですね。

 

彼は自分の旅を振り返ってこう言いました。

 

 

「僕の旅は愛で溢れてました」

 

 

シンプルですよね。

 

人の愛がないと進めない、人の愛がないと物を口にできない。

 

愛がないと終えることのできない旅だったんですけど、

彼は身に余るほどの愛を頂いたと言っていましたね。

 

 

S君にヒッチハイクを教えた友達のT君、

彼も無一文でのヒッチハイク旅の経験があるんですけど

 

「無一文の時の方が圧倒的に刺激的だった」

 

と言ってました。

 

 

このトークライブを聞いた時、僕の胸は熱くなりました。

 

「すごい、、無一文ヒッチハイクおもしろそうやんけ…」

 

一気にヒッチハイクに興味が沸いたんですね。

 

 

でも僕は仕事をやめてすぐに旅立つ計画を立てていたので

この時点ではまだ日本一周の決断をしていませんでした。

 

それからもしばらくイベントに顔を出して

情報収集したり旅仲間を作る日々が続きましたね。

 

1000という数字にチャレンジする奴ら

日本一周

イベントに参加する中で2人の人物に出会うことによって

僕は日本一周を決断しました

 

1人はシンガーソングライターのH君。

彼はウクレレを片手に旅をしながらボランティアをし続けるというクレイジーガイです。

旅業界ではかなり有名なんで、旅に興味ある人なら知ってる人は多いと思います。

 

H君はとあるNPO団体に所属しているんですけど、

とあるカンボジアの村で現地の雇用を生むために

事業を作るプロジェクトが立ち上がりました。

 

そこで彼は

 

ヒッチハイクで日本全国を駆け回り、

単独ライブをしながら3ヶ月でCDを1000枚売り、

その売り上げを全額プロジェクトのために寄付をする

 

という旅に出ました。

 

 

時を同じくしてもう1人の青年が立ち上がりました。

 

1人というか夫婦なんですけど、

これまた旅業界では有名なお二方で、人を巻き込むのが上手いんですけど

K氏という夫婦は二人で世界一周をした後に、

約100人からの募金によってカンボジアに学校を建設しました。

 

そこで次は幼稚園建設を計画していて、H君の巡業のこともあり

 

3ヶ月で1000人から一口1000円の寄付=100万円の募金を集めて

カンボジアに幼稚園を建設するプロジェクトを立ち上げました。

 

単純な僕はすぐに影響されて、ついに決心しました。

 

「よっしゃ、いっちょ日本一周でもするか」

 

無一文スプレーアートヒッチハイク日本一周計画

日本一周

じゃあさっきの1000のチャレンジの話と何が関係あるかってことなんですけど

 

S君の影響から無一文ヒッチハイク日本一周は気になっていました。

そこに2人、正確には2組ですね、の1000チャレンジ。

 

そこで考えました。

考えたっていうか、もうパッと浮かびましたね。

 

「せっかくスプレーアートで世界を旅しようとしてるし、

無一文の状態からヒッチハイクをしながら3ヶ月で1000枚の絵を届けよう!」

 

完璧ですよね。

 

無一文ヒッチハイク×1000チャレ

 

まぁ絵の売り上げがあるので完全無一文ではないんですけど

S君、H君、K夫婦に出会ったことにより日本一周が計画されたわけです

 

あ、ちなみに絵を売ることについてですけど

1000枚分の材料を持ち運べないので現地で材料を調達する必要があるのと、

そもそもその後の世界一周の資金の足しにしたかったので

無料で配ることも寄付することもしませんでした。

 

彼らみたいな高尚な気持ちはなかったですねw

 

テーマは「お気持ち」

日本一周

 

1000チャレのH君はCDを1500円で売ってました。

まぁ普通の値段ですよね。

 

じゃあ僕はいくらで売っていくべきかって悩みました。

 

それもそのはず、今まで絵なんて描いたことなかったんで

絵の相場もわからなければ、自分の絵にいくらの価値があるかなんて

尚更分からなかったですね。

 

そこで面白い話を聞きました。

 

これまた旅業界で有名なT君という路上詩人出身の方とお話する機会がありました。

 

その方は最初は値段をつけずに「お気持ち」で詩を書いていたとのことでした。

 

そこで一言

 

「値段をつけるとそれ以上もそれ以下もないけど、

お気持ちでやると数円、数十円になることもあれば数万円になることもあって、

自分がどれだけ価値を提供できるか勝負になって面白いよ」

 

単純な僕はそれを聞いて

 

「よし、お気持ちシステムでやろう」と思いましたね。

そもそもいくら付けたらいいのかわからないんで。

 

ということで、ヒッチハイクで歩を進めるのも「人々のお気持ちで」

ご飯食べたり材料調達することができるのも「人々のお気持ちで」

 

という「お気持ちで旅をする」ことが日本一周のテーマになりました。

 

 

以上が「無一文からスプレーアートとヒッチハイクだけで日本一周をし、

3ヶ月で1000枚の絵を届ける旅」をしようと思ったいきさつです。

 

しかし僕には確認しなければならないというか、

越えなければならない壁が一つありました。

 

人生初の路上パフォーマンスの結果は

日本一周

 

「日本一周を決めたはいいけど、果たして計画通り絵が売れるのか」

 

っていう問題がありました。

 

それまでは誰かに売ったこともなければ、

そもそも人前で絵を描いたこともなかったんで

まずは実績と自信を付ける必要がありました。

 

仕事をしている時は休みの度に練習をしていましたけど、

仕事を辞めてから当時住んでいた部屋の契約が切れるまでの3ヶ月は

毎日3~5時間ぐらいは練習していたと思います。

今思えば練習量少ないですけどね。

 

あの頃はもうがむしゃらにYouTubeの動画とか見様見真似でやってました。

で、そろそろ良い出来栄えのものができるようになってきたかなって時に

初めて路上で披露してみたんです。日本一周開始2ヶ月前のことでした。

 

当時はシェアハウスに住んでいて、

シェアメイトも路上パフォーマンスを見てみたいとのことだったんで

彼らに見守られながらやりましたね。

なんで心強さもあって恥ずかしさとか躊躇はなかったですね。

割と良いのができる自信もありましたし。

 

あ、ちなみに路上パフォーマンスでお金を稼ぐことを「バスキング」って言うんですけど

「路上パフォーマンス」だと長いんでバスキングって言いますね。

 

初めての時のことはハッキリ覚えてますよ。

有楽町駅のマルイの近くでした。

 

なんか地下への入り口みたいなとこの壁を背にして無造作に始めたんですけど

最初の一枚から以外と人も集まって、宇宙の絵を描いたんですけど割りと盛況でしたね。

まぁシェアメイトたちがサクラになってた効果もあったと思うんですけど。

 

そしたらですよ、描き終わってみんなが食いついているときに警備員さんが来たんですよ凹○

「ここはマルイの私有地だからダメよ~」って

 

そしたら観客のおじさん達が

「何だよ、少しぐらいいいじゃねぇかよ!」って抗議してくれたんですよ。

 

なんか嬉しかったですね。僕のパフォーマンスが受け入れられたみたいで。

 

もちろん続けることはご法度だったんでそそくさと片付けて

近くの公園で再トライしました。

 

でもそこは数人しか歩いてなかったんで誰一人立ち止まることはなかったですね。

というか、友達同士で何かやってるとしか思われなかったと思います。

 

結局この日はブタで終わったんですけど、何か手ごたえを感じたというか、

ちょっと自信にはなりましたね。

 

初めて絵が…

日本一周

 

有楽町の初路上から約2ヶ月間は一度もバスキングに行くことなく

練習ばかりして更に腕を磨いていましたね。

 

日本一周開始の2,3週間前かな?やっと満足のいく出来になったので再び路上に出ました。

 

今度は新宿の甲州街道沿いでやってみたんですけど、

最初の2日間は警察の邪魔が入ったりして売れなかったですね。

 

正直、売れるかどうか分からない実力で旅を始めるのかって思うと

めちゃくちゃ不安でしたよ。

 

んで、いよいよ運命の日がやってきたわけです。

この日は描き始めから人が立ち止まって順調そうな出だしでした。

 

サクラのシェアメイトは最初の有楽町だけでそれ以来は1人でバスキングしてたんですけど、

売れなかった不安もあって人が前に立った時は

 

心臓ドキドキして手も震えましたよね、さすがにw

 

まぁすぐにお買い上げになることはなかったんですけど、しばらく続けていたら

「あぁ!スプレーアートだぁ!」って、優しそうなカップルが立ち止まったんですよ。

「YouTubeで見てて、ずっと生で見てみたかったんですよね~!」って彼女が瞳を輝かせてました。

 

ここはチャンス!と思って「値段付けてないからお好きな値段でどうぞ」って促したんですけど

「いやいや、こんな素敵な作品に見合うほどの手持ちがないです!」って

百点満点の素晴らしい断り方をしたんですよ。

でも上手くかわしてる感じはなくて、本気て言ってくれてるのが伝わったんですね。

 

でも僕はもう実績がほしくて焦ってたんでwちょいゴリ押ししましたね。

そしたら悩みながら「じゃあ…1700円でもいいですか?」って、

ちょっと金額が正確すぎて一瞬「ん?」ってなったんですけどw

もちろんいくらでも大丈夫ですって伝えたら

 

「先に買わなきゃいけないものがあるんで、終わったら必ず来ますね!」

 

あ、お、、オッケー!…みたいなw

 

今じゃないんかーい凹○

ってちょっと肩を落としてしまいましたけどめげずに続けました。

 

すると割とすぐに外国人の友達を案内してる風日本人グループが足を止めました。

その日本人の方は値段は自分で付けていい旨を友達に伝えた後、

 

いきなり2枚5000円でお買い上げになって去っていったんですよ

 

あっさり売れすぎてびっくりしました。

彼からしたら僕が一枚も売ったことがないなんてもちろん知る由もないんで僕は堂々としてるフリしてましたけど。

 

これが初めて絵が売れた瞬間でしたね。

人生で初めて自分が作ったものに値段が付いたんですよ。

 

正真正銘自分だけの力でお金を生んだんです。

 

人生でこんな嬉しいことはなかったですね。

童貞卒業した時よりも嬉しかったですよ。

まぁ童貞卒業どんだけ嬉しかったのって話ですけどw

いやいや、そんな嬉しかったわけじゃないですよ?言っときますけど

 

まぁ童貞の話はさて置き、残された連れの外国人も

「Wow, It’s crazy man!」ってめちゃ食い付いてて

2,3枚オーダーして買ってくれましたね。

 

そして気になる最初のカップルですけど…

 

 

ちゃんと戻ってきてお買い上げしてくれました。

しかも「少なくて申し訳ないんですけど…」って2000円渡してくれました。

恐らく1700円じゃヤラしいからって、優しそうな彼氏さんが彼女の買い物に300円出してあげたんじゃないかって今になって思います。

 

山あり谷ありでしたけど、日本一周開始2週間前にようやく

絵が売れる程の実力ということを知ることができて、

この日は合計1万円以上の売り上げで大勝利を収めることができました。

 

さすがにこの日は近所の居酒屋で絵の売り上げで祝杯を上げましたね。

自分で生み出したお金で飲むお酒は格別でしたよ。気持ちよかったですね。

 

スプレーアートを本格的に初めて約半年、ようやく努力が実を結びました。

ぶっちゃけ最初の有楽町のときに警備員さんに注意されて片付けている時に

観客の中に「あれ、買えるのかなぁ」って言ってる人がいたんで、続けれていたら

4ヶ月の時点で売れてたのかもしれないですけど、まぁそれはさて置きで。

 

日本一周の旅スタート

日本一周

 

 

3年間住んだシェアハウスを引き払って三重県の実家に戻り

1週間ほどで旅の装備を揃えて4月1日、

晴れて日本一周スプレーアートヒッチハイクの旅がスタートしました。

 

正直言うと、日本一周の時はまだ旅に慣れていなかったのと、

1000チャレという大きな目標があったんで世界一周の時より毎日が刺激的でした。

移動も毎回ヒッチハイクなんで達成感ありましたしね。

 

なので日本一周については伝えたいことがいっぱいあるんですけど、

この時点でもうかなり長くなってしまったので詳しくは別で1つずつ語るとして

今回はかいつまんで面白かったエピソードを3つだけ話していきますね。

 

とりあえず日本一周のルートなんですけど、実家の三重県出発で

まずは西日本に興味があったので京都→大阪→神戸って進むことにしました。

 

行き先には条件があって、スプレーアート用のスプレーは東急ハンズのを使っていて

他のブランドと混ぜると変な科学反応が起こるんでハンズのスプレーで統一する必要がありました。

 

なので、スプレーが切れた時には調達するために東急ハンズのある大都市を中心に進むことにして、

ハンズのない街に行く時は事前に多めに仕込むことにしました。

 

一応そこそこの街にはハンズがあるので、

おおまかに京都→大阪→神戸→広島→福岡というルートで、

日本海側は九州を回った帰り道に通ろうと考えてました。

東日本は未定で、四国に関しては学生の時に車で一周したんで

今回は無視しました。四国の人申し訳ないw

 

移動に関してのルールですけど、県を跨ぐ時はヒッチハイクで、

県内というか、市内観光の移動は電車やバスを使っていいルールにしました。

さすがに市内移動まで全部ヒッチハイクにすると路上する時間ないんでね。

 

ちなみに最初に触れた財布のことですけど、

3ヶ月で1000枚売るってことは、1日13枚ぐらいの計算になりますよね?

値段はお気持ちなんで読めないんですけど、

僕個人の感覚としては最低1000円は払うかなと思っていて

仮に毎日13枚なんて売れた日には1万3000円ずつ貯まっていくわけで

大金を持ち歩くことになると危ないので

あくまで「預金用」としてのキャッシュカードだけを財布に入れてスタートしました。

 

そういう理由で財布は持ってましたけど、本当に無一文スタートでしたよ。

 

では日本一周について話していきます。

 

はじめの一歩、京都

 

 

初日

日本一周

最初の目的地は隣接してる京都にしました。

軽々とヒッチハイクをして、ワケあって京都駅で下ろしてもらいました。

 

僕、学生の頃ストリートダンスしてたんですよ。

で、当時有名だったチームが京都駅で練習してるってのを聞いたことがあったんで、

「路上パフォーマンスといえば新宿・池袋」的な、バスキングができる場所だと思ってたんですね。

 

そしたらいざ降り立ってみると全然違うじゃないですか。

むしろ「バスキング禁止」みたいな貼り紙まで貼ってあるし凹○

全然バスキングができる雰囲気じゃないんですけど、

アーケードのある新京極に移動しようにもお金ないし

大荷物引きずって歩いて行くには遠すぎるしで、

 

ダメもとでちょっとした広場でやってみたんですね。

 

案の定誰も見向きもしなかったですね凹○

まぁでも続けるしかないんで続けてたんですけど、

しばらくしたら自転車をもった人に話しかけられました。

 

「Are you selling?」

 

ついにキタ!と思って「お気持ちでやってます」って伝えると

「Really!?」って、お買い上げ確定モードに入りました。

 

トゥアーという名前のタイから来た青年で、

3週間前から自転車で日本を旅してるとのことでした。

 

ほぼ絵が完成しかけたとこで後ろから声をかけられました。

振り返ってみると見たことある帽子、真ん中の紋章…

 

 

警察でした凹○

 

 

2、3質問されて、「ここではやらないでね~」ってやんわり注意されただけで済みました。

不安そうに見守ってくれてたトゥアーに絵を渡して、初収入の1000円頂きました。

これでやっと移動できるんでひとまず安心しましたね。

 

彼と別れた後はたまたま連絡が取れた京都の友達と合流して、ご飯をご馳走になって

その後は友達の案内でバスキングができそうな場所に移動しました。

 

友達にご馳走になったのでお礼の一枚を描いていたら

新宿では見たことがない人だかりができました。

 

かなり反応が良くて、この日は合計6枚を売り上げましたね。

 

一時はどうなるかと思いましたけど、無事宿代と翌日の観光費が稼げたのでよかったです。

 

まさかの展開

日本一周

 

4月の京都はまさに桜のシーズンだったんで、意気揚々と観光に繰り出しました。

当時の所持金がいくらか忘れちゃいましたけど、全部使ってしまったとしても

前日の反応からご飯と宿代は余裕だろうとタカを括ってましたね。

 

清水寺が夜の特別拝観をやってたんで、それを見終えてから

バスキングを始める頃にはもう夜の10時になっていました。

 

この日は友達に教えてもらった鴨川付近の別の場所に行ってみたんですけど、

狙ってた場所に占い師の先約がいたんですね。本人はいなかったですけど。

 

やむなくちょっと離れたとこでやってたんですけど、全然人が止まらなくて…

しばらくするとおじさんに話しかけられました。

見上げるとそこには金髪ロン毛で日焼け肌、

ちょい汚めの黒のジャケットにデニムパンツ、ボロボロのサンダルを履いている、

いかにも「昔はやんちゃでしたよ」風な4,50代のおじさんが立ってました。

 

で、なんとそのおじさんがさっきの場所をとってた占い師だったんですよ。

なのでお願いして近くでやらせてもらうことにしました。

 

ただ、場所変えても全然人が止まらなかったですね。

そこでこの占い師のおじさんが大活躍してくれました。

 

ちょっと興味ありげに足を止めた外国人にすかさず話しかけて、

占いではなく僕の絵をアピールしまくってくれてるんですよ。

 

「うわ、めっちゃいい人やん」と思って僕も突撃しました。

 

「just watch! what’s your favorite colour? you don’t need to buy!」

 

って、半ば強引にw

 

「wow!」って感動してもらえて、お買い上げにはならなかったんですけど

チップだけカンパボックスに入れてくれました。

 

その後すぐに、一度足を止めて去って行った中国人が戻ってきたんで、

僕はすかさず「来来!看看!」って秘密兵器の中国語を繰り出したんですね。

そしたら「え、中国語できるアルか!?」って食いついてくれたんですよ。

で、お買い上げに繋がりましたね。宿代もなかったんで必死でしたよ。

 

無事宿代ぐらいが稼げたとこでお巡りさんが来て撤去命令が出たんで、

撤収して占いのおじさんと前日と同じネットカフェに行きました。

 

このおじさんがいなかったら野宿してたかもしれないんで、本当に助かりましたよ。

まさかこんな焦る展開になるとは思わなかったですね。

 

反省を活かしたが…

日本一周

 

翌日、天気予報で雨が心配されてたんですけど、運よく快晴でした。

前日観光なんかして調子こいた反省を活かして

この日はいきなり稼動することにしたんですけど

 

天気とは裏腹に路上の売れ行きは曇り模様でした。

 

描いてる最中は足を止めるんですけど、描き終るやいなや去って行く。

というのが何枚も何枚も連続で続きました。こんな連敗は初めてだったんで

僕の心は雨ザーザーでしたよね。

 

数時間が経過して空腹が限界に達してきた頃、

最初のお客さんをつかんだのは隣でやってた占いのおじさんでした。

女性のお客さんだったんですけど「女神が降臨した」と言ってましたね。

一仕事終えたおじさんは急にフラフラどっかに行きました。

 

僕は宿代はおろかご飯代もなかったんで、空腹と焦りでメンタルもフィジカルも極限でしたね。

まぁそんなこと言ってても仕方ないんで、一心不乱に絵を描き続けました。

絵を描いていないと誰も足を止めないんでね。

 

するとおじさんが牛丼を買ってきてくれました!とても有り難かったです。

もはやこのおじさんですら僕にとっては女神に見えましたね。

 

僕は描いてる途中だったんで、それが終わったら牛丼を頂こうかと思ってたんですけど

描き終わる頃には人だかりがけっこうできてて、

終わると同時に去ることもなく立て続けに3人お買い上げでした。

 

本当に女神降臨モードですよね。

 

やっと宿代ができた安心感で美味しく牛丼を頂きました。

 

その後も続いてガンガン売れたってわけじゃなかったんですけど、

合計11時間稼動して8枚売れたのでなんとかなりました。

 

一方でおじさんは最初の1人か、あともう1人いたかな?

あまり思わしくない結果だったようで、不機嫌だったのか

それとも僕の結果に嫉妬していたのか

 

牛丼のお礼に夜ご飯をご馳走したかったんですけど

「疲れてるから大丈夫」って断られました。

 

おじさんが「明日知り合いのテキ屋で働かせてもらえるかもしれないから

Sunnyも一緒にやろう」って言ってたんですけど、

次の日には先にネットカフェをチェックアウトして姿を消してました。

 

旅を始める前までは意外と楽勝でしょって思ってたんですけど

お金がないことの精神的ダメージがあまりにも大きいことが身にしみたんで

この日を境にお金の使い方にはシビアになりましたね。

 

有り得ないめぐり合わせ

本当は初めてのヒッチハイク

ちょっとここでカミングアウトがあるんですけど

 

僕、この日本一周の旅でちょっとズルしてるんですね。

勘の良い人なら違和感覚えたかもしれないんですけど

 

 

三重から京都に行くヒッチハイク、姉に乗せてもらったんですよ。

 

 

「家を出発して、最初の目的地に行くのにヒッチハイクをしないと旅が始まらないのに

人生初のヒッチハイクのはずがあっさり終わっていきなり京都駅でのスプレーアートの話になったな」

って思った人もいるかと思います

 

最初はヒッチハイクに適している大通りまで乗せてってもらおうと思ってたんですけど

姉が京都に用があるからということで、出発した時間も遅かったんで

甘えてしまいました。

 

ズルいですよねw

 

と言うことで人生初のヒッチハイクは京都から大阪に向かう道でした。

 

ぶっちゃけ京都から大阪まで電車で400円で行けるんで

電車でサッサと行っちゃおうかと迷ったんですけどね。

 

いやいや、ルール違反やし最初にズルしてるしそれはアカンって

ちゃんと思いとどまりましたよ。

 

だから、1時間だけトライすることにしましたw

 

 

まぁ気を取り直して

 

歩いて国道1号線まで移動して、ヒッチハイクする場所を探しました。

もうちょっと歩いたら高速の入り口があるっぽかったんですけど、

大荷物持ってそこまで移動するのが大変だったのと

ちょうど道路工事のカラーコーンが立ってて車が停まりやすいスペースができてたんで

その付近で始めました。

日本一周

ヒッチハイクを1人でやったことある人は共感してもらえると思うんですけど

 

最初めちゃくちゃ恥ずかしかったですね。

 

人前でスプレーアートしてて恥ずかしいも何もないっしょって感じなんですけど、

恥ずかしかったです。

 

「大阪」って書いたスケッチブックを持ってたんですけど、

恥ずかしくて頭上に掲げることすらできなかったですね。

 

ヒッチハイクは笑顔が大事って言うんですよ。

「120%の笑顔でアピールしましょう!」みたいな

 

僕は完全に引きつってて、12%ぐらいの笑顔でしたね、たぶん。

 

工事現場のおじさんに見られているのも恥ずかしかったんで

最初は遠慮してちょっとヒッチハイクしにくい場所でやってました。

 

2,30分トライしても捕まらず、結局工事現場のおじさんに

「兄ちゃん、もっとこっちでやんな!」って言われたんですよ。

 

その優しさが逆に恥ずかしい、みたいなw

 

で、お言葉に甘えてそこでやらせてもらってたんですけど

1時間ぐらい経っても捕まらなかったですね。

 

大阪までの距離、所要時間、お金を考えると

電車に乗ってしまったほうが効率がよかったんですけど

せっかく優しくしてくれた工事現場のおじさんに

カッコイいとこ見せたい気持ちと葛藤しながら

 

次信号が変わったら諦めて電車に乗ろうと決めました

 

 

ってのを3回ぐらい繰り返しました

 

それでもダメだったんでついに見切りをつけて、

目と鼻の先にある地下鉄の入り口に向かうために荷物をまとめてました。

 

電車にのるつもりなのに「もう場所変えますわ」って

工事現場のおじさんに言ったりしてカッコつけてると

 

 

「プップー!」

 

 

振り返るとそこには1台の車が停まってました。

 

ウソみたいですけど、本当に去ろうとしたその瞬間ヒッチハイクに成功したんです。

 

しかもウソみたいな話はこれだけじゃなかったんです。

 

ウソみたいなご縁

乗せて頂いたMさん、実家はなんとかの有名な稲荷神社をやられてるそうで

Mさんが若い頃はヒッチハイクで旅をしたことがあると言ってました。

 

この日は一度目が合ったみたいなんですけど、車に仕事の荷物を積んでたから、

仕事終わってからまだ僕がヒッチハイクしてたら拾おうと思ってくれてたみたいです。

 

実家の神社の仕事は最近始めたみたいで、それまで何してたか訪ねたら

 

「俺、昔競輪選手やっててん」って、

 

僕のいとこ競輪選手なんですよ。で、名前言ったら

 

「え!俺の同期やん!」って、

 

なんと、いとことレースをしたことがある同期の方だったんですよ!

 

こんなめぐり合わせ凄くないですか?

 

「ここで出会ったのも何かの縁だし」みたいなレベルのご縁じゃないですよ。

初めてヒッチハイクしていきなりそんな出来事アリですか?って感じでしたね。

 

しかもまだ続くんですよ。

 

Mさんも絵を描くのがお好きで、暇な時は大きな絵を描いたり、ササっと落書きしたりするみたいなんですけど

その落書きを見せてもらったら、たまたま僕がその時持ってた絵とめちゃくちゃ似てたんですよ。

 

それだけじゃなくて、いつもだったらもっと遅い時間に僕がヒッチハイクしてたあの道を通るのに

今日はたまたま仕事の関係でその時間に通ったみたいで、

もう色んなことが巡りめぐって巡りあわせて信じられなかったですね。

 

 

あの時工事現場付近ではなく高速入り口を選んでいたら、、

あの時あと1回と思った信号が3回変わるまで諦めてなかったら、、

いつもと違う時間にMさんがあの道を通ってなかったら、、

何か一つでもずれていたらこの奇跡的な繋がりのご縁はなかったですね。

 

 

その後はドライブスルーでマックをご馳走して頂いて、

別れ際に僕の作品を見てみたいとのことで見せていたら

さっきのMさんの落書きと似た絵に目が留まって

なんの迷いもなく「コレ欲しいわぁ!いくら?」って聞かれたんですけど

 

「お気持ちでやってて値段ついてないんですけど、

送って頂いたんで差し上げます」って言ったら

 

「アカンアカン、買わせて!マックのおつりで買うわ!」

 

マックが合計900円ぐらいだったんで数十円ぐらいかなって

パッと頭が働いてしまったんですけど

 

そんな前振りアリ!?と言わんばかりに札束握ってたんですよ!

 

「えええぇぇぇ!こんなに受け取れませんよ!」って言ったんですけど

「ええからええから、これも何かの縁やし、払わせてくれ」って

 

後から思い出したんですけど、さっきのマック一万円札で買ってたんですね。

 

もうカッコ良すぎでしょ

 

人生初のヒッチハイクがこの奇跡的なご縁のめぐり合わせでした

 

Mさん、その節は本当にお世話になりました。

日本一周

たまたまって、そんな続くの?

ご飯をたべずにヒッチハイクしていたんで、さっき頂いたマックを流し込んで

大阪へのヒッチハイクを再開しました。

 

高速入り口付近のガソリンスタンドの入り口でやってたんですけど

しばらくしたら店員さんがのしのしやって来て、

 

「兄ちゃん!この場所は名古屋方面で大阪方面は反対側やし、

そもそも京都からは別の高速入り口で大阪に向かうから

ここでは捕まえにくいで!」

 

ってわざわざ教えに来てくれたんです。

僕は重い荷物を引きずりながら何百メートルも歩いて、歩道橋を上り下りして

15分ぐらいかけてよやく反対側とやらに移動してヒッチハイク再開です。

 

さっきと同じく1時間たっても全然捕まらず、雨も降ってくるは暗くなってくるわで、

まずい状況になってきましたね。さっきの店員さんが教えてくれたように捕まらないんじゃないかって。

 

1時間半経って完全に暗くなりました。雨降ってたんでめちゃくちゃ寒かったですね。

交通量も少ないし全然捕まる気配がないんで、

反対側のガソリンスタンドで極寒の野宿の不安がよぎりました。

それはそれで猿岩石みたいで興味はあったんですけど、

とりあえずオシッコしたいな~って思ってたら

 

「ぶぉーん、キュッ!」

 

っていきなり車が停まってびっくりしました。

 

紫色のめっちゃいかつい車で更にびっくりしたんですけど、

「荷物後ろに乗せな!」的なジェスチャーしてたんで一気に安心しましたね。

オシッコちびるかと思いましたよ。嬉ションですよね。

 

乗せて頂いたのはKさんという強面のお兄さん。見た目通り昔はイワしてたみたいです。

 

このご縁がまたドラマチックだったんですけど

 

たまたま今週末ヒマで、家にいてもつまらないんで少しドライブすることにして、

僕が最初にいたガソリンスタンドで見かけたんですけど

滋賀方面へのドライブだったんでスルーしたんです。

ちなみにいつもはその道通らないんですけどたまたま1年ぶりぐらいに通ったんですよ。

 

「さっきも今回も、たまたまってそんな続くもんなの!?」

って最初は思ってたんですよ。で、そういうのがその後も何回もあって。

最終的に日本一周中数十台の車に拾ってもらったんですけど、

ほとんどの人がたまたまそこを通ったとか、たまたま仕事が早く終わったとか

たまたまいつもと違う時間だとか言ってました。

たぶんいつもと違う気分の時に気持ちに余裕が出るんだと思います。

 

話戻るんですけど、Kさんもともと車での旅行が好きで

たまにヒッチハイクしてる人を見かけてたけど

乗せたことはなかったんですって。

 

それが色んなとこで見かけるかた興味が沸いてきてたみたいで、

でも実際なかなか乗せるのも勇気が出ずに悶々としてたとこに僕を見かけたんで

滋賀の帰りにまだやってたら乗せようと思ってくれてたみたいなんですね。

 

しかも、帰り道に雨降ってきたもんだから、まだヒッチハイクしてたら雨に濡れてるだろうと心配して

ちょっと飛ばしてきてくれたんですよ!

 

もうそれ聞いて感動しましたね。

 

その上に片道1時間半もかかる道のりを、暇だからってわざわざ大阪まで直接送ってくださって

絵も見てみたいとのことで見せると「俺宇宙好きやねん、これいくら?」って

「差し上げますよ」って言っても、「これも縁やから」ってお代まで頂いて。

日本一周

ヒッチハイク初日から本当にいい人にめぐり合えましたね。

 

京都でヒッチハイク開始してから7時間、

電車でたった1時間の距離なのにすごいドラマがありました。

 

ズルして電車乗らなくてよかったですよw

 

 

で、このヒッチハイクにはちょっとしたオチがあって、

2台目のKさんに乗せてもらってる間に

なんか見たことある景色が見えてきて、

 

よく見たら一番最初にヒッチハイクしてた場所通ったんですよ凹○

 

Mさん逆方向に走ってましたね。

 

まぁそれが全部合わさっての今日の出会いってことなんで。

 

お後がよろしいようで。

 

 どこまでも行ける

日本一周

 

京都での最初のスプレーアート、最初のヒッチハイクを経て

その後は大阪→神戸→岡山→広島→熊本と、順調に歩を進めました。

 

広島→熊本はとある出会いがあって一気に乗せてもらったんですけど

熊本の後は一度福岡の博多に行って、それから九州一周する予定でした。

 

本州を半分横断して九州まで辿り着いた時には、

 

「自分でもこんなことできるんだ」という信じられない気持ちがある一方で

「もうヒッチハイクでどこまでも行ける」という自信が付いてましたね。

 

博多はスプレーアートの食いつきもめちゃくちゃ良くて、

旅開始して1ヶ月半ぐらいだったんですけど10万円の貯金ができてました。

 

1000チャレの進捗状況は思わしくなかったんで、

本来なら単純計算で50万円ぐらいないといけなかったんですけどね。

 

福岡では友達の紹介でとあるシェアハウスにお邪魔してて

 

そこにいた面白い人たちの影響で僕の日本一周の旅は大きく舵を切りました。

 

無一“ウォン”からスプレーアートとヒッチハイクで…

日本一周

進路変更

博多でお世話になってたシェアハウスでは会社経営者や、まだ学生なのに世界一周達成したとか

ぶっ飛んだ人ばかりに出会いました。

 

その中の1人が「日本一周なんかしてもどこも一緒だし成長しないよ!

すぐそこからフェリーでプサンに行って、

そのまま北朝鮮からロシア抜けて帰ってきなよ!」って言い出して、

 

周りの人も「いいじゃんいいじゃん!」みたいな雰囲気になったんで

 

単純な僕は影響されちゃったんですけど、日本一周はやり遂げたかったし

北朝鮮とロシアはさすがに怖かったんで

 

フェリーでプサン行って、ソウルまでヒッチハイクして

飛行機で博多に戻ることにしました

 

「日本一周中に韓国に寄り道しました」

なんて言うのも面白いかなと思ってw

 

そう決めてからすぐに親にパスポートだけ送ってもらって

必要最低限のスプレー道具だけ持ってフェリーに飛び乗りました。

日本一周

スプレーは飛行機で運べないんで、使ってる道具を持っていくには

フェリーで行く必要があったんですね。

 

もちろんお金は全部銀行に預けてまた空っぽの状態にしたんで

 

 

無一文ならぬ無一“ウォン”ですよね

 

 

こうして無一ウォンからスプレーアートとヒッチハイクだけで韓国縦断の旅が始まりました。

 

 

入国でまさかの…

博多からフェリーに揺られて約2時間、韓国はプサンに上陸しました。

 

空港と同じように検疫、入国審査をパスして税関を通ろうと思ったら

 

まさかの荷物チェックのコンベアが大きな口を開けて出迎えてくれましたよ。

 

荷物の中には大量のスプレーとかカッターとか入ってるんで

何か言われるんじゃないかって焦りましたね。

 

まぁ無事何も言われることなく荷物が出てきたんで

安心して到着出口に向かおうとしたら

 

 

ちょいちょいちょいと手招きされました凹○

 

 

「open please」って言われて、もちろん大量のスプレーが出てきますよね。

 

片言で「コレ、ドコデ使いマスカ?」って

 

僕、落書きに使うって疑われてるんじゃないかって思ったんですよ。

だから自分の作品を見せて知ってる単語とジェスチャーで必死に説明しました。

 

もしこれが没収になったら現地で買い直すお金もないし

稼ぐ術がなくて死んでしまいますからね。

 

職員さん、しばらく絵を見て…

 

笑顔で「No Problem!」が出ました!

 

旅が始まらないどころか、死ぬ可能性まで考えたんで

この時ばかりは鼻からコチュジャン出ましたね。

韓国での路上スプレーアートは意外な結果に

無事入国が終わって、とりあえず観光案内所に行きました。

 

別に観光案内してもらうためじゃないですよ。一応。

 

情報収集と、「無一文で旅してます」ってアピールするための看板を作りたくて

観光案内所に行けば英語か日本語話せる人がいると考えたんですよ。

 

ちょうど英語ができる人がいたんで事の成り行きを説明したら

親切にダンボールに書いてくれました。

日本一周

これをスーツケースに貼って、教えてもらった人通りの多いアーケードに向かいました。

 

ちょうどバスキングができそうな場所を見つけたんでトライしてみました。

日本人がスプレーアートとヒッチハイクで旅してるなんて当たり前に珍しいハズなんで、

看板だけで立ち止まる人が多くて準備が終わった頃には人だかりができてましたね。

日本一周

 

早速1枚披露したところもの凄い人だかりで、

その中に日本語ができる人がいて値段を聞かれたんですけど

 

韓国って100円からお札になってるんですよ。100円札、500円札みたいな。

で、ここで「お気持ちで」ってなると普通に100円札が出てくる恐れがあったんですね。

なんかお札って払った気になるじゃないですか。

 

で、この頃にはもう100枚以上売ってきたんで、

自分の絵に対する自我が芽生えてきてたんですね。

 

お気持ちなんでいくらでもいいってことで、それがその人に与えた価値なんですけど

コインが出てくると「おいおい…」みたいなw

 

最低金額いくらだったと思います?

残念ながら1円はマークしなかったんですけど

 

21円でしたよ

 

しかもこの時「1000円札はあるけど小銭がないんです!」って

丁寧に財布の中身見せてきたんですけど

 

(1000円札あるやんけ!)って思っちゃいましたよね。

21円て、人としてどうなの?みたいなw

 

もう最初の頃のピュアな気持ちはどこへやらですよ。

 

それで値段をつけてみたいなって気持ちもあったのと

ここで数百円しか稼げずに死んだなんて笑えないんで

とりあえず3万ウォンでやってみることにしたんですよ。約3千円ですね。

 

そしたら「それは高いセヨ」ってなったんで、

僕もすぐに現金が欲しかったんで2万ウォンに下げたら

 

すぐに売れました!

 

この日本語できる人も周りの観客に宣伝してくれて

次から次へと注文が入ったんです!

描いてる最中もめちゃくちゃリアクション良かったですね。

 

しかも中には5万ウォン札で払ったんでお釣りを渡そうと思ったら

 

「I’ts ok, It’s my heart!」って

 

5万ウォンまるまる頂いたんですよ!

 

値段付けててもそれ以上頂けるなんて、感動しましたよ。

 

結局この時は2時間ぐらいの稼動で18万5000ウォンの売り上げでした。

日本一周

チップか何か頂いたのかな?何で5000ウォンがあったのか忘れましたけど。

これだけお金があれば余裕の安心ですよね。

 

終わって辺りを見渡すと景色が輝いてましたよ。

夕日の時間帯ってのもあったんですけど。

 

でも最初は言葉の通じない土地で、路上の事情も分からない中で

ちゃんと稼げるのか、生きて行けるのかって不安だったんで

景色を見る余裕なんてなかったですね。

 

海外行って1円もない恐怖って想像できないでしょ。

 

でも日本一周の旅も少しマンネリになってきてたんで

そのスリルも刺激的で楽しかったですね。

日本一周

初の海外ヒッチハイク

韓国でのヒッチハイクは全部で3回でした。

 

留学中に知り合った友達がテグという所にいたんで

ソウルに行く前にテグを挟んだんだんですけど、

 

プサンからテグで2回、テグからソウルで1回でした。

 

その中でも印象的だったのがテグ→ソウルのヒッチハイクでしたね。

日本一周

プサン→テグは約1時間の道のりで2回かかったのに対して

テグ→ソウルは4時間ぐらいを1撃だったのと

 

なによりゴールへのヒッチハイクだったんで嬉しかったですね。

 

プサン→テグの2回は20分ぐらいで捕まったんですけど

この時は1時間半ぐらい捕まらなかったんでキツかったです。

 

停まったのがなんと大型の観光バスで、

観光バスが無料で人を乗せるなんて有り得ないと思ったんですけど

なぜかテグからソウル近郊の大学に寄って生徒拾ってソウルに行きました。

 

ドライバーのおじさんは英語も日本語も通じなくて、

知ってる韓国語とジェスチャーでコミュニケーション取るしかなかったんですけど

それでもとても親切にしてくれました。

 

高速パーキングのドライバーしか入れない食堂でご馳走してくれたりして

韓国縦断

 

たぶん世界で僕しかこんな体験してないですよw

 

僕、それまでのヒッチハイクの経験で、乗せてくれた人に自分の絵を自ら見せたり

差し上げたりしないことにしてたんですよ。

なんか、ちゃんと欲しいと思って手にしてほしい絵描きとしての気持ちと

本来ならいらなかったのに、差し出されたからお金払うことにしたなんて申し訳ない気持ちですね。

 

でもこの時ばかりは何かお返しがしたくて、絵差し上げましたね。

相手が欲しているかもわからないし、完全に自己満足ですけどね。

日本一周

韓国を縦断して

無一ウォンの旅は終わってみると思ってたより簡単だったんですけど

得たものはもの凄く大きかったです

 

人の温かみとか、アートは国境を越えるとかっていうキレイごとはもちろんなんですけど

 

 

何より、「どこでも生きて行ける」という揺ぎ無い自信を持って帰国しました。

 

 

もちろん自信は税関でひっかからなかったですよ。ってか。

 

きろ

日本一周

 

博多に戻った後、本来は行き道で行かなかった日本海側を通ろうと思ってたんですけど、

出会った人みんなに、帰りに寄るって約束したんで結局来た道を戻ることにしました。

 

博多から岡山までの間はいろいろと条件があってめちゃくちゃドラマチックだったんですけど

長くなるんでそれは別で話すとして

 

途中広島でとあるお店に寄った時に、

その後の僕の人間関係を大きく変える出来事が起こりました

 

窮屈な自分

バスキングしたりヒッチハイクしたりで色んな人と出会ってきたけど

実はコミュニケーション苦手なんですよ。人見知りで。

 

いわゆる本当のコミュ障みたいに人の目見て話せないとかではなくて、

別に当たり障りのないやりとりは完璧にできるんですけど家に帰ると

「あぁ、今日も疲れたなぁ」みたいな感じです。

まぁこういう人世の中に多いかと思うんですけど。

 

たまに、誰とでもすぐに仲良くなる人いるじゃないですか。

そう見えてるだけってパターンも多いんですけど。

そういう人になりたいなって学生の頃から思ってて、

周りで人気のある人を観察したり、コミュニケーションの本を読んだりしてたんですね。

 

旅をきっかけに変われたらなと願いながら日本一周を始めたんですけど

20年以上かけて凝り固まった

 

「社会を円滑に生きるための表面的なコミュニケーションをする自分」

 

をほぐすのは簡単ではなかったですね。

 

とにかく最初はめちゃくちゃ腰が低かったです。

自分のやってることがどれほどのものなのかよくわかってなかったんで

単に絵を買ってもらえるだけで嬉しかったし、車乗せてもらえるだけで嬉しかったです。

良い意味でも悪い意味でもかなり謙虚だったと思います。

 

「だったと思います」って、じゃあ今は謙虚じゃないのかって話ですけど。

たぶんあんま謙虚じゃないですねw

 

日本一周も慣れてくると「あぁ、今日も疲れたなぁ」っていう自分が出てきました。

 

勝手に自分の中で「お客様と物売り」とか「乗せて下さった方とお邪魔してる見知らぬ人」

みたいな上下関係を作ってたんですね。

 

だから良い人じゃないといけない的な強迫観念にとらわれて窮屈な状態で人と接してきました

特にヒッチハイク中は4,50代の目上の方が多かったんで余計に「礼儀正しくないと!」と思ってましたね。

 

で、疲れるんですよ。本当の自分じゃないから。

その頃はヒッチハイクする前とかちょっと憂鬱でしたねw

 

そこで転機が訪れました。僕にとっては人生の岐路と言ってもいいぐらい。

 

広島は尾道にある「チャイサロン・ドラゴン」というお店に行ったときのことでした。

日本一周

 

すごいぶっ飛んだ店長さんがいたんですよ。

店長というか、働いてないって言ってましたね。遊んでるだけだと。

 

その人はそのカフェみたいなとこのオーナーの家に住み込みで、

食事も提供してもらう代わりに家事や子どもの面倒を見たり

無給でカフェを任されてました。

所持金は1000円って言ってましたよ。

 

でも本人はもともとお店をやりたかったんで、

「飯食えてお店もできて幸せ」って言ってました。

 

食べる心配がなくて好きなことできるって究極の幸せですよ。

非常にシンプルですよね。

 

で、僕はその人にこの悩みを話したんですよ。そしたら

 

「上とか下とか気にしなくていいんじゃない?相手には“乗せない”って選択肢がある中で

“乗せたい”と思って乗せたから、その気持ちを受け取るだけで

相手の“してあげたい欲求”を満たしてるからそれで対等だよ」

って言ったんです。

 

完全に目から鱗ポロポロでしたね。

 

ウクレレのHくんも言ってました。「受け取るのも愛だ」と。

 

日本人って、もらうことを遠慮する美徳みたいなのがあるじゃないですか。

相手の負担が増えるみたいな。それはそれで慎ましくて良いと思うんですけど

 

でも、本当にあげたいって思ってる人にとっては素直に受け取って喜んでもらう方が

断られて手元に残るより100倍嬉しいんですよね。

 

 

僕はこの時をきっかけに意識が変わりました。

そんな畏まらなくても、固くならなくてもいいんだって。

良い人を演じないように強く意識するようになりましたね。

 

それ以降バスキングもヒッチハイクもめちゃくちゃ精神的に楽になりました。

 

むしろ開放しすぎて、思ったこと全部口にしたりトゲが多くて

周りを傷つけたこともあったんじゃないかと思いますw

 

それから数年、世界一周も挟んでだいぶ丸くなりましたけど。

 

あの経験から、「嫌われる勇気」じゃないですけど

好かれようと媚を売るようなことなく自然体でいられるようになったのは

日本一周中で得た大きな収穫のひとつでした。

 

日本一周達成した結果

日本一周

その後は順に三重まで戻って、名古屋→東京→北海道

→東京→名古屋→実家と駆け足で移動してゴールしました。

 

ゴールの実家より北海道に着いた時のが達成感ありましたね。

 

途中、パーキングエリアのトイレで2連泊したり

ゲイのオヤジに襲われたり

パトカーの後部座席に乗ったり

奇跡的な偶然の再会を何度もしたり、

特に、「韓国でスプレーアートしてるあなたを見ました」って

日本に遊びに来ていた韓国人に言われたのはビックリしましたよ。

 

そんな貴重な体験をしながら無事日本一周を達成ました。

 

 

1000チャレの結果ですけど

 

先にぶっちゃけると、途中で諦めました凹○

 

気づいたんです。観光を優先して1000枚売るために全力で行動していないことに。

他の1000チャレしてた二組が必死で頑張っていたのに対して、

中途半端な気持ちでやっていたのでさすがに本人に謝りましたね。

 

でも一応記録は取り続けたので発表すると

合計318枚で46万5741円+39万5000ウォンの

約50万円の売り上げでした。

 

どうですか?微妙でしょw

あんだけ意気揚々と出発したのに半分も達成してないですからね。

 

まぁでも逆に言えば50万あれば3ヶ月半日本を旅できるってことですね。

もちろんヒッチハイクで移動すれば、ですけど。

 

日本一周中はいろんな経験をして、いろんな人に出会って、

いろんな事を学んで、いろんな事を考えさせられて

たくさんのものを得ました。

 

特に大きかったのは自信です

・親指一本でどこまでも行ける自信

・スプレー一本でどこでも生きていける自信

・相手にどう思われても自然体でいられる自信

 

行き道で会った人に再会すると口を揃えて見違えるようになったと言われましたね。

顔に自信がみなぎってたみたいです。

抑えきれないもんなんですね、自信ってw

 

成功するために大切なたった一つのこと

日本一周

 

以上、魂が揺さぶられたエピソードを軸にサラッと日本一周について話してきました。

1.初めてのヒッチハイクとスプレーアート

2.無一ウォンでの韓国縦断

3.ぶっ飛び店長のカフェでの一言

 

この3つの体験が僕を大きく変えました。

 

本当に日本一周をやってよかったですね。

 

 

ここでみなさんに伝えたいのは、ヒッチハイクを通じてわかる成功的思考です。

 

日本一周中自分で未来を作り上げているのをひしひしと感じました。

もちろんヒッチハイクなんて外的要素が多いんですけど、

それでも自分の願ったことが起こる、もっと言えば

 

自分が強く願ったことが叶えられるように行動する

叶うまで諦めずに行動し続ける

 

そんな成功の秘訣がヒッチハイクに詰まってると思います。

 

エジソンが言ってました。

「私は失敗をしたことがない。成功するまで続けたからだ。」

乗せてくれた人みんなに「ヒッチハイクってうまくいくもんなの?」って聞かれます。

僕は毎回「成功率は100%」って答えます

 

なぜだかわかりますよね?

 

 

捕まるまで続けるからです。

 

 

そんな大切さを学ばせてくれる旅でした。

 

 

ご静聴ありがとうございました。

 

 



Sunny Side Fieldメルマガ登録
メールアドレス