所持金1万円で世界一周してきた

世界一周

 

はい、ようこそいらっしゃいました。

 

今回は世界一周について語っていきたいと思います。

 

タイトル通りたったの所持金1万円だけで世界一周を達成したのか

って言うとちょっと語弊があるんですけど、

むしろ持って行く予定だったお金を家に忘れて出発しちゃったんで

所持金ゼロでスタートしましたね。

 

まぁその辺の事も世界一周に至る経緯から詳しく話していきますので

お楽しみ頂けたらなと思います。

 

また長いんですけど、日本一周の話みたいに最後に大切な事を伝えてるんで

我慢して最後まで読んだほうがいいと思いますけど、

むしろ最初の方は大したこと話してないんで飛ばしていいと思います。

 

とある本との出会い

世界一周

学生の頃、僕はどこにでもいるような普通の人間でした。

普通に高校、大学に行って、普通に就職して

あるある人生を歩むんだろうなと思ってました。

 

今はスプレーアートをしながら世界中を飛び回ってますけど

とりわけ絵の才能があったわけでもないし、むしろ画力は飛びぬけて悪かったし。

特別何かをしてきたわけではなかったですね。

強いて言えば高校の時に地元の駅前でストリートダンスをやってたぐらいですかね。

 

で、平凡な大学生活を送っていたある時に姉の勧めで

高橋歩の「World Journey」という本を読んだんです。

もう衝撃が走りましたね。まさに脳みそスパークですよ。

彼の言動全てがカッコよく見えて、彼の生き方に憧れましたね。

 

今どきの若い子はあんま知らないかもしれないですけど、

当時は新しい生き方のパイオニア的存在で

彼の本は旅好きな人達のバイブルでしたね。

僕もブックオフに足を運んではほぼ全部買い漁りました。

 

僕単純なんでね、すぐに影響されましたよ。

「こんな風にお店持ったり会社作ったりして自由に生きれたらいいな~」って。

将来は起業しようって意識しました。

 

就職できずに…

僕ね、就活生の中では頭ひとつ抜けてスペック高かったんですよ。

って自分で思ってたんですよw

留学経験があって、英語なんかTOEIC約900点あったし、

中国語もそれぐらいのレベルの資格も取ったんですけど

就活には失敗しましたね。

 

帰国が3月末だったんですよ。テストとかあって。

それから自己分析とか履歴書作りとか始めて、

とっくに大企業のエントリー終わってるみたいな。

本格的に就活始めたの5月なんですよね。

もうロクな企業残ってなくて。

というかやりたいことが何かも分かってなかったです。

結果出してないんでただの言い訳ですけどね。

 

なんか、留学に行ってる間に起業思考が強くなったんですよ。

高橋歩氏に影響されてるんで。

さっさとお金貯めて起業したいなって思ってましたね。

でも起業して何がしたいわけでもなく

とりあえず起業がしたい「いるいる学生」でした。

 

なんで「20代で年収1000万稼げる会社」とか応募してましたね。不動産とか。

留学経験無駄ですよね。

企業側からしたら「なんでこんな子がうちに?」みたいな。

 

そんなこんなでどこからも内定が出ず、そのまま卒業しました。

就職浪人なんかしたくなかったし、そもそももう一年大学通うお金なかったですしね。

 

そこで僕はある決意をしました

 

上京物語

この時点ではまだ世界一周しようとは思ってませんでした。

将来できたらいいなってぐらいですかね。

 

とりあえず語学力をキープしたかったんで、日常的に使う機会があるように

外国人と暮らすことにしました。

当時外国人と暮らせるようなシェアハウスって東京にしかなかったんですね。

で、たまたま新規オープンで募集してた部屋が気に入ったので即決しました。

 

っていうのがカッコいい理由で

実は当時付き合っていた彼女が東京に住んでたので

女のケツを追いかけたってのが半分ですね。正直なとこ。

 

なんで3月で大学卒業して、4月から仕事もないまま上京しました。

 

就職するも…

上京して意外とすぐに仕事は見つかりました。

某有名全国格安底辺チェーンホテルのフロントの仕事なんですけど

選んだのには2つ理由があって、

1つは語学が活かせると思ったこと

2つは時間が有効に使えると思ったことです。

 

2つ目についてですけど、大学の頃に友達がホテルで深夜のバイトをしてたんですけど。

話を聞くと深夜はやることがなくて暇だから本を読んでるって言ってたんですね。

 

本来はホテルには勤めたくなかったんですけど、

深夜暇になるのなら起業の勉強をしようと思って応募しました。

給料もらいながら勉強できるなんて素晴らしいって最初は思ってたんですね。

 

ところが蓋を開けてみると、そんな暇まったく無かったですね凹○

超激務でしたよ。普通の人なら耐えられないと思います。

 

忙しいのはいいんですけど、それよりも

フロントとして働き続けることに対する天井が見えたんですね。

給料の天井も自分の成長の天井も。

 

学生の頃飲食店でバイトしてたんですけど、本質的にはやること似てるなって。

オーダー取って、提供して、会計して。

予約取って、部屋案内して、会計して。

「こんなルーティーンワークやっても自分が望む成長が見込めない」

入社2日目でそう気づいたんですよね。2年目じゃないですよ。

ここにいたらダメになると思って転職を決意しましたね。

 

あ、別にホテルをディスってるわけじゃないですよ。

結果的にそうなのかもしれないですけどw

でも、言わんとしてることはわかりますよね?

 

転職を決意してからはすぐに第二新卒枠かなんかで応募してました。

とにかく語学を活かせて海外で働ける会社を狙ってたんですけど、

もちろん内緒で転職活動してたんで休みがとれずになかなかうまくいきませんでした。

 

そうこうしてる間に先輩が結婚とか妊娠とかで急に何人か辞めたんで、

辞めるに辞めれなくなってずるずる働き続けてました。

 

人生初の挫折期

世界一周

 

結局転職もできずに惰性で底辺ホテルで働き続けることになった自分が情けなくて

その間は地元の人とは会いたくなかったですね。

 

僕と同じように中国と英語圏に語学を勉強しに行った大学の同期が

その年はたまたま他に数人いたんですよ。

英語圏と中華圏に1年ずつってそういるもんじゃないと思うんですけど。

彼らは世界に名を馳せる大企業に内定が決まったんですね。

 

華々しく活躍する同期と比べると、僕は新卒もないまま底辺ホテルに勤めて。

やりたくてやってるわけでも、誇りを持ってるわけでもなかったんで

「中国にもオーストラリアにも行ったSunnyがそこ!?」

ってなるのが恥ずかしかったんで、僕を知る人には誰にも会いたくなかったです。

結婚式なんて呼んでほしくなかったですね。

 

今思えば、それまでの人生で挫折したことなかったんですよ。

部活やってきたわけでもなかったし。

この時が一番自分に自信がなく沈んでましたね。

 

正直将来が不安でした。負け組み確定と思ってましたね。

 

追いかけて上京した彼女にフラれて、翌月には妊娠して結婚したのを

知ったってのも重なって、しばらく鬱モードでしたよ。

 

しかしやっと光明が差し込んできました。

 

待ちに待った好機と転機

世界一周

 

ホテルは激務だったんで新しく入っても続かない人が多かったんですけど

1年半ぐらいたった頃ようやく人員が揃ってきて、辞められるタイミングがきました。

 

実際に上司にもその旨を伝えて、改めて転職活動をしてたんですけど

その時点での僕のスペックから選べる選択肢はありませんでした。

新卒を取りこぼして、中途でホテル入社、3年未満で転職

傷だらけの経歴だったんですよねw

 

なので転職しようにもやりたい仕事が見つからずに

微妙な気持ちのまま面接行ったりして中途半端な活動してたんですね。

 

そこで考えました

「ちょっと待てよ、全然転職活動に身が入ってないし

そもそも採用されたとして、その未来はどうなる?

数年前に起業を志していた気持ちはどこへ行った?

お店持ったりして自由に生きたかったんじゃないのか?

でも今の自分じゃまだ十分人を惹きつける魅力はない。

今やっても成功する自信がない。

よし、旅に出て自分を磨いて仲間を作ってお店を持とう。

とりあえず世界一周の旅に出るしかない!」

 

そう思った瞬間心のモヤモヤが晴れました。

 

確か大晦日の夜でした。

 

除夜の鐘に煩悩を打ち払われた瞬間でしたね。

 

やると決めたら動き出す

世界一周

 

世界一周を決めてからはすぐに色んなことを決めました。

 

まず転職エージェントに正直に話しました。

ちなみに2社登録してたんですけど

リクナビ転職はめちゃくちゃ文句言われて、DODAの方は応援してくれたんで

もし知り合いで転職考えてる人がいたらDODA勧めてあげてくださいw

 

次にお金を貯める必要がありました。

実を言うと、世界一周を決める半年前にネットビジネスに挑戦してました。

転売系なんですけど、もともとパソコン使うのが苦手で。

休みの日に「今日はがっつりリサーチしよう」と思っても

本読み始めたりネットサーフィンしたり。

テスト勉強中に掃除しだしたりマンガ読んだりするあのモードですよね。

数ヶ月経っても全く身が入らなかったんで諦めました。

 

それで在庫抱えて赤字出したりしてお金がなかったんで、バイトか何か考えたんですけど

ちょうどホテルの先輩も同時期に辞めるって言ってて、

二人同時は困るから1ヶ月ずつずらしてくれと頼まれてたんで

先輩に先を譲ることにしたんですね。

 

で先輩は年末で辞めて、僕は1月末で辞める予定だったんですけど

正月明けには僕の気持ちは旅に出るって決まってたんで

バイトをするよりこのまま勤めた方が給料が良いし、

ホテル側も新人探すのに焦ってたんで

 

「あれならもう1年残りましょうか?」

 

って上から目線でオファーしたんです。困ってんなら働いてあげますよーみたいな。

「本当にいいの!?ありがとう!」って感謝されましたねw

本当は「わがまま言って済みません」って謝らないといけないんですけどね。

まぁでもお互いWin×Winなんでね、事の真意は伏せたままでした。

 

そして、次に考えたのが「旅先でお金を得る手段」です。

仕事を辞めて旅に出るんで、特に期限は決めてませんでした。

貯金内で旅をするのもいいんですけど、旅先で稼ぐ手段があれば

いつまでも旅ができるなと思って何か身に付けることにしました。

 

ネットビジネスは失敗してるんでパソコン系はナシとして

ギター好きなんですけど、歌下手なんで論外

大道芸は1年じゃ無理そうだしあまり興味もない

 

そこで思い出したのがスプレーアートです。

YouTubeか何かで見たんですけど、出来上がりの早さと

完成度の高さで感動したのを覚えています。

 

「スプレーアートなら…材料を現地で調達できるし

パフォーマンス力もあって物として残るし…

最高の方法じゃないのか?」

 

それに、やり方見てたら自分にもできそうだったんですね。

 

これがきっかけになった動画です。

この選択は大正解でしたね。この時の自分を褒めてあげたいです。

 

これが僕がスプレーアーティストへの門をくぐった瞬間でした。

 

継続は力なり

それからは来る日も来る日も練習しましたって言いたいんですけど

まだ寒かったので暖かくなるのを待ちすぎて

本格的に練習を始めたのは半年後の8月からでした。

 

それからは休みの度に猛練習して、半年後には売れるようになりました。

その辺の詳しいいきさつは日本一周編で語ってるんで、興味あれば見て頂ければと思います。

 

僕、絵めちゃくちゃ下手なんですよ。幼稚園児並みの超画伯で。

それでも見よう見真似から始めて、続けてたら売れるようになって、

 

「継続は力なり」を直に実感しましたね。

 

世界一周の前に

世界一周を決めてからは、スプレーアートの練習をする一方で

旅好きな人が集まるイベントに顔をだすようになりました。

 

そこで出会った人達の影響で日本一周をすることにしたんですけど、

日本一周の途中で寄り道した韓国でのバスキングの反応が良かったんで

日本一周が終わった後に韓国に出稼ぎに行きました。

 

月100万円ぐらい稼げるんじゃないかって期待して行ったんですけどね、

世の中そんな甘くはなく、計画通りには稼げませんでしたね。

 

貯めたはずのお金が…

世界一周

 

旅先で稼ぐ手段があればと思ってスプレーアート始めたんですけど、

本当はいっぱい貯金して、節約も我慢もしない優雅な旅をしたかったんで

最初はお小遣いが稼げればって程度にしか考えてなかったんですね。

 

で、日本一周が終わった時点で150万ぐらいあったんですけど

日本一周の後に友達とシンガポールとタイに遊びに行った時に

カジノで大負けしてしまったんですよ。

 

韓国出稼ぎで取り返そうと思てたんですけど、

稼いだお金は世界一周の準備費用と日本滞在中の交際費で全部なくなって

 

その上、昔からちょくちょく株をやってたんですけど

いつまでたっても素人トレードしかしなくて下手くそなんですけどね。

 

ある日全力買いした株が急に暴落したんですよ凹○

 

数十万もってかれてしまって。完全に「ヲワタ」ですよ。

 

更には、世界一周の準備が整ってそろそろ出発って頃に

前年度の所得に対する住民税だかなんだかの督促が来てしまって。

銀行口座差し押さえられて航空券買えなくなるといけないんで全額払って。

 

結局手元に残ったの

 

約40万でしたよ

 

悲惨でしょ。

 

仕事1年間延長して貯めたお金全部消えましたね。

まぁその1年でスプレーアート覚えたからいいんですけど。

 

でも日本一周やら韓国遠征やらで半年以上出発が延びてて

またお金貯めるためにこれ以上延ばしたくなかったんで

もう覚悟決めましたね。

 

とりあえず40万のうち10万円分は米ドルで持ってて、

国境のアライバルビザとか何かあった時用で普段は手をつけないもの。

残りの30万は世界一周するのに最低限の航空券代として全額銀行へ。

 

で、韓国遠征で余った10万ウォン(約1万円)がスタート時の所持金でした。

 

これが「1万円で世界一周」の理由と本当の姿です。

タイトル盛り盛りですけどね。でも気持ちは1万円でした。

 

ただ、実際はこの10万ウォンすらない状態で旅が始まりました

 

実質所持金0円

世界一周

 

出発当日、空港までの交通費を払ったら日本円はほぼ残ってなかったです。

現地に着いたら10万ウォンを両替してスプレー買って

サッサと稼ぐしかないと思ってたんですけど

 

空港に着く直前、ふと思い出したんです。

 

「あれ、そういや…ウォンの入った封筒をカバンに入れた記憶がないな」

 

カバンの中探しても、入ってるハズの場所に封筒ないんですよ。やっぱり。

むしろ、「入れた記憶がない」という自信すらありましたからね。

 

どこ探しても無かったんで、絶対家に置き忘れてきたんですよ。

 

もう目の前ヒヨコが回ってましたね。

ウォンだけじゃなく1000ドルも一緒に入ってましたから。

「全く現金ないし、どうしよう!?」

どうするもこうするも、取りに帰る時間なんてないんで

 

 

とりあえず飛行機乗りました。

 

 

とりあえずはカード使ってATMでしのぐしかないと。

 

で、最初の国が台湾だったんですけど、着いてATM使ったら

1000台湾ドルしか出てこなくて、約4000円ですね

何回やってもダメなんで、とりあえずその日の分は足りるんで

翌日やってみることにして宿に向かいました。

 

家族に連絡してみたところ、やっぱり現金の入った封筒はありましたね。

家にあったところでどうしようって話なんですけどね。

 

全額両替して口座に入れといてもらうしかないかなと思ってたら

奇跡の大チャンスが訪れました

 

友達のおかげで

台湾はランタンフェスティバルっていう

大量のランタンを一斉に空に放つお祭りがあるんですけど

それに参加したくて最初の国に台湾を選びました。

中国語できるってのもありましたしね。

 

そしたら到着した翌日に日本の友達からランタンフェスティバルに

参加するって連絡が来たんですよ!

ツキが神がかってますよね。

 

家族と友達にお願いして

現金の入った封筒を持ってきてもらうことにしました。

 

ただ、友達が到着するのは1週間後だったんですよ。

 

合計1万4000円の

とりあえずスプレーを買うしかない。

前日ATMで下ろした1000台湾ドルは

交通費と食費で700ドルぐらいしかない。

スプレーは1本100ドルするんで生活費を考えると揃えられない。

 

もう一回ATMにトライしてみても「限度額です」みたいなこと言われる。

後でわかったんですけど、出発直前に海外旅行保険の代金を

カードで支払ったんで恐らくそれで限度額になってたんですよ。

 

「もうこうなったら宿の人に借りるしかない」

 

出発時は全くお金なかったんで、少しでもお金が貯まるように

宿で働いて宿泊費を無料にしてもらうことにしたんですよ。

日本人経営の日本人宿なんですけど。

なんで、他に働いているスタッフさんに1万円貸してもらいました。

1週間後には友達が10万ウォン持ってきてくれるんで、それで返そうと。

 

そんなこんなで借りた1万円と初日のATMからの約4000円の

計1万4000円で旅を始めたことになりましたね。

まぁそこはご愛嬌ということで。

 

それでも旅の資金が少ないどころか、使えるお金が無い上に

ATMまでダメでどうなるかと思いましたよ。

 

無事封筒が手に入って、スタッフさんにもキチンと返しましたからね。

 

みんなで作る旅

なんかずっとお金の話ばかりしてますねw

いい加減旅の話しますね。

 

僕、旅に出る前は「世界一周から帰ったらトークライブとかしたいな~」って思ってたんですよ。

じゃあそのためには面白い旅ブログ書いて人気にならなくてはと。

 

でも普通にブログ書いたんじゃ巷に溢れる旅ブログと一緒になっちゃうんで

読者も巻き込むことにしたんですね。

ブログのコメントでその国でやってほしいリクエスト聞いたり

次の行き先をみんなで投票で決めたり

読んでいる人が参加できるようなブログ、旅にしようと思ったんです。

 

YouTubeとかもやって人気が出て広告収入が入って

ブログも人気になってアフィリエイトとかやって

帰国したら本を出版して

 

そんなシャイニングロードを描いてましたね。

 

でも計画通りになるほど面白みのない旅にはなりませんでした。

 

最初の国台湾で最高の

台北編

世界一周

 

世界一周の始めはお金がなかったんで

とにかくバスキングしてお金稼ぐしかありませんでした。

昼間は宿で数時間働いて、夕方から数時間バスキングに行く

っていう生活をしてましたね。

 

まぁ宿代はかからないんで1日1枚売れたら食べることはできたんですけど

3日のうち2日は雨が降ってたんでガッツリはできなくてキツかったですね。

別に貯金が目的ではなかったんでいいんですけどね。

 

台湾人の反応もまぁまぁでした。韓国なんかリアクションがめちゃくちゃ良くて、

何かテクを使う度に「ゥワーオ!」ってなってたんですけど、

台湾ではけっこう1枚描き終えても「シーン…」ってしてましたね。

最高に悪い反応でしたよw 日本でも京都ぐらいしかそういうのなかったから。

 

特に台北は自分の他に2人もスプレーアーティストがいて

スタイルは全然違うんですけど、同じエリアで

自分より上手い人が安い値段で売ってたのもあってか

1日に3~5枚しか売れなかったですね。

韓国遠征の時は1日に5万円売ったこともあったんですけどね。

 

台湾ヒッチハイク編

台北→台中

台北での宿のスタッフの仕事は一応1ヶ月間の予定で、

それが終わってからは→台中→台南とヒッチハイクで移動しました。

結論、両方とも無事ヒッチハイクは成功したんですけど、

片方は普通に一撃で目的地まで乗せてもらえて、

片方は警察とのまさかの展開になりました。

 

 

台北から台中に向かう時、道路わきでヒッチハイクをしてたら

警察に声をかけられました。胸の前で腕をバツにしてましたよ。

職質されるのかと思いきや、

「この道は台中には行かないよ」って教えてくれました。

「何でヒッチハイクしてるの?お金ないの?」って聞かれたんですけど

あるって答えると「バスに乗りなさい」って流れになるのが面倒だったんで

とりあえず「ノーマネー」って答えました。

 

そしたらトランシーバーで何か交信をして、手招きされました。

「いよいよ職質か?でもそんな雰囲気は出してないし、、

じゃあパトカーで台中まで連れてってくれるのか?

いや、それはないっしょ」って考えてたら

 

ATMに寄って、

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近くにあったバスターミナルでチケットを買ってくれて、

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その上にお小遣いまで渡してくれました!

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まさかその辺の警察が勤務中にポケットマネーでそんなことしてくれるなんて。

神対応すぎて感動しました。

 

というか、ATMに寄った時点でチケット買ってくれるんじゃないかって

予感はしてたんで「実はお金持ってます」って言いたかったんですけど

事の成り行きを見届けたくて嘘ついたままなんで

申し訳ない気持ちになりましたね。

好奇心を抑えきれずに「ノーマネー詐欺」を働いてしまいました。

 

台中→台南

台中から台南へのヒッチハイクも神がかり的に良い人に出会いました。

 

この時は韓国の友達と一緒にヒッチハイクしたんですけど、

イージーモードになってしまうんじゃないかってのと、

友達は中国語分からないんで敢えて中国語は封印しました。

 

開始30分で車が止まったんですけど、台北行きのファミリーでしたね。

後部座席に二人乗ってたんで、その時点で僕達二人乗せるのは

アウトなんだったんですけどw

この運転手がめちゃくちゃ親切で、

「ヒッチハイクは危ないよ。バスのチケット買ってあげるから

それで台南まで行きなさい」って言ってくれたんですよ!

前回の警察といい、台湾人親切すぎるでしょ

 

でも今回は正直に「ヒッチハイクに挑戦したい」って言って

さすがにノーマネー詐欺は働かなかったですよw

 

そしたらおじさん、心配だからって友達にまで電話して、

台南まで送ってくれる友達探してくれたんですよ!

 

もうホンマ、台湾人に感動ですよ。

 

ぶっちゃけ、

「台湾人って中国人と似たようなもんでしょ」

って思ってたんですよ。

ランタンフェスティバルがなかったら全くマークしてなくて。

 

こんな他人に親切にできる国民性だなんて思ってもみなかったですね。

 

結局、そのおじさんの友達はダメだったんですけど

最後にヒッチハイクの看板に捕まりやすいようにって

何か書いてくれて、最後まで親切でした。

世界一周

 

その後しばらく続けてたら近くの工事現場からおじさんが出てきて、

「その道は台北行きだよ」って教えてくれました。

そりゃさっきのファミリーもガッツリ台北行くわなと。

 

地図で確認して台南行きっぽいとこに移動して

 

ヒッチハイク再開したら、10分ぐらいで捕まりましたね。

台南の向こうの高雄まで行くとのことだったで

一撃台南まで乗せてもらえました。

 

台湾でのヒッチハイクは大成功でした。

目的地にたどり着いただけじゃなくて

ホスピタリティの高い人たちに出会えたことが

とても心地よかったです。

もう、台湾人最高!ですね。

今では日本で困ってる外国人にお返しするようにしています。

 

直接お返しができなくても一旦はありがたく好意を受け取る。

それを同じように必要としてる人に回す。

巡りめぐって最初の本人に届くよう願って。

 

それが因果応報です。

 

必ず返ってきます。

 

良いことも悪いことも。

 

台南編

台北にいた時に、ある大道芸人に出会いました。

その人から台南は物価が安くて美味しいものが多くて

美女も多くてバスキングが稼げるって聞いたので

台南はしばらく滞在することにしました。

 

また宿で働こうと思ったんですけど、

台南で唯一の日本人宿は人手が足りていたので

ローカルのゲストハウスでの仕事を見つけました。

朝1時間掃除するだけの簡単な仕事で

毎日の宿代約2000円浮かせられたのは大きかったですね。

世界一周

もちろん全部中国語ですよ。

中華系マレーシア人のスタッフもいたんですけど、

最初日本人が来るって聞いたときに英語の練習ができるって

期待してたらしいんですけど、僕の中国語が上手すぎて

結局ずっと中国語喋っちゃったって言ってましたねw

 

台南でのバスキングは台北と違って繁華街的なとこがなかったので

通行人のまばらな駅前でやってました。

大道芸人に教えてもらった場所はスプレーアートには不向きでしたね。

 

最初は全く反応良くなかったです。

ここでも台北みたいに「シーン…」でした。

何枚描いてもシーン…が続いて、

 

最終的に初日は1枚も売れませんでした凹○

 

1枚も売れなかったの、バスキング人生で初でしたね。

敗北です。大負け。悔しかったですね。

 

「・物価安・飯うま・美女大勢・路上稼げる」

って言ったの誰だよ!って思いましたね。

 

 

台南には約2週間滞在したんですけど

続けていくうちにFacebookで拡散されるからか、

1週間経ったころから徐々に売り上げが上がっていって

最終日は前回からの予約が3人いたし、

見るためにわざわざ来てくれた人もいました。

 

人が人を呼んで最高で7人待ちの状態にまでなりました。

当時はオーダー聞いて、描いて、写真撮って、って

1枚描くのに15分ぐらいかかってたんで

最後尾の人は約2時間待ちですよ。

もう病院ですかここはって感じでしたよ。

世界一周

 

ひとつずつこなしていって、やっと3、4人になったと思ったら

3、4人待ちがず~っと続いて、

 

 

結局飲まず食わずトイレも行かずで7時間ぶっ通しで描き続けました。

 

 

記録はなんと29枚ですよ。持って行った紙全部売れました。

 

これは未だに破られない最高記録ですね。

もう二度と7時間もやりたくないしw

 

最初から最後まで7時間もの間僕の勇姿を見届けてくれた人

袋をいっぱい準備してきて他のお客さんにあげてくれてた人

「どの順番で誰が待ってて、あと何枚紙があるか」ってずっと手伝ってくれた人

 

みんなの協力があって達成できた大記録でした。

 

しかもSunnyにお任せの注文もあったんですけど

リクエストの注文も多くて、29枚全部違う絵を描いたんですけど

 

「Sunnyの絵は生きてるみたい」って言われたのが

一番嬉しかったですね。

 

初日0枚の悔しさには必ず意味があると言い聞かせてました。

その悔しさがあってこの日の喜びが何十倍にもなりましたね。

 

やっぱり全てには意味があるんです。全部繋がってるんです。

良いことがあるわけでも、悪いことがあるわけでもない

 

最終的に良かったと思えることが大事なんです。

 

それを改めて実感した、台湾での物語でした。

 

読者と決めた行き先は香港のみ

世界一周

 

約2ヶ月の台湾滞在が終わって、次の目的地はブログのコメント投票で決めました。

フィリピン、ベトナム、香港&中国南方の3択があったんですけど、

中国南方に興味がある人が多かったみたいで

香港入りして陸路で中国に抜けることにしました。

 

香港の後は中国からベトナムに抜ける予定だったんですけど

ちょうどその頃カンボジアでボランティアしてる友達がいて、

彼らの帰国日が迫ってたんで先に向かうことにしました。

 

僕ね、海外で日本人の友達と会うの大事にしてるんですよ。

現地の友達はそこに住んでるからもちろん会えるんですけど

日本人と海外で合流ってなかなかできないし、

海外での体験を共有できるって貴重じゃないですか。

 

だからブログのルールを破って先に会いに行きましたね。

 

香港からカンボジアは高かったんで、

マレーシアに一回飛んで韓国と台湾で出会った

現地人の友達と会ってからカンボジア入りしました。

マレーシア人の結婚式にも参加させてもらいましたよ。

世界一周

 

カンボジアからはベトナムに抜けて中国まで北上して、

当初の計画とは逆のルートで進みましたね、結局。

 

その後はもともとトルコ辺りで合流して

東ヨーロッパを一緒に回ろうって言ってたアメリカ人の友達が

先に西ヨーロッパに行ってたんですけど、

彼がアジアも行きたいからって、結局オーストラリアまで行ってて

最終的にタイで合流することにしたんですよ。

 

で、タイからインド→トルコって進路を彼と決めたんで

ブログで読者と一緒に行き先を決めることは

最初の香港だけで終わりました凹○

 

結局自分のやりたいこと優先した

オナニープレイな旅でしたね。

 

リクエストは受け付け続けたんですけど、

2,3日で移動を繰り返してて、ブログの更新もままならないし

リクエストが来ることはなかったですねw

 

旅の裏テーマ

ブログ読者を巻き込みながら旅をするのが僕の旅のテーマだったんですけど

僕自身が定めた裏のテーマというか、旅の本当の目的が2つありました。

 

ひとつは、お店を開く場所を探すこと。

もともとお店が開きたくて、人が集まるような魅力的な人になること

仲間を集めることを目的に旅に出ることにしました。

 

あ、お店はカフェです。今のところ。

海外に興味がある人が集まる場所にしたいですね。

 

で、そのお店を開く場所を日本、海外を含めて探すことがひとつ。

 

もうひとつが世界の「俺的三大スプレーアーティスト」に会うことです。

そのアーティストはイタリアのこの人と

世界一周

スペインのこの人と

世界一周

メキシコのこの人です

ではアーティストに出会う旅の詳細を語っていきますね。

 

イタリアのアーティスト

アメリカ人の友達とタイで合流して、

インド→トルコと進んだとこまで話しましたね。

 

トルコからはエジプト→ハンガリー→チェコ→オーストリア

→クロアチア→イタリアと進みました。

 

世界一周

 

気球に乗ったり、ピラミッド周辺のウザい客引きを一瞬で黙らせたり

ミラノで本田と長友の競演を観戦したり、面白いエピソードが色々あるんですけど

それは別でひとつずつ語るとして

 

イタリアのアーティスト、YouTubeの情報から

ローマにあるトレビの泉の周辺にいることがわかりました。

 

近くをくまなく探していると、スプレーアートをしてるっぽい人だかりを発見しました。

「やっと見つけた!」と思って近づいてみると違う人でした凹○

しかもクオリティも少し劣る…

 

この日はいないのかもしれないと思っていたら

数十メートル先に発見しましたw

 

やっぱり上手い!さっきの人と違って全部売れてました。

 

ローマのアーティストに会いに来た目的はただひとつ

独特な植物の描き方を知ること。

 

いきなり教えてって言うのはちょっと気が引けたんで

この日は挨拶だけして距離を縮める作戦に出ました。

 

翌日また会いに行きました。

ただの観光客がどんな技法を使っているのか

踏み込んだ質問をするのは変だと思ったんで

自分もスプレーアートをしていることを明かしました。

日本からスプレーアートをしながら旅をしている、と。

「遠路はるばる」と快く教えてくれるかと期待したけど

いざ聞いてみると、

「それは教えられない。教えたらみんな真似してオリジナリティがなくなってしまう。」

 

残念凹○

 

まぁごもっともですよね。

 

諦めきれず「日本からはるばる会いに来たんだ!

ローマでライバルになるわけじゃないから教えてくれよ!」

って言いたかったですけど

 

泣く泣く諦めて帰りました。

 

しかしSunny、タダでは転びません。

ヒントだけ掴んで帰りました。

 

…まだ解明できてないですけど

 

スペインのアーティスト

イタリアの後はギリシャ→ポーランド→ドイツ→オランダ

→ベルギー→デンマーク→スェーデン

でスペインはバルセロナに来ました。

世界一周

 

一緒に旅をしてた友達の友達がしばらく泊めてくれるってことで、

アーティストもバルセロナのどこかにいることはわかってたんで

尚良しって感じですね。

 

情報が少なくてローマのアーティストより場所を特定するのが難しかったんですけど

どうやらLas Ramblasという観光地になってる通りがあって、バスキングしてる人が多い

という情報を掴んだので行ってみました。

 

スプレーアート発見!と思ったら、またしても違う人でした凹○

 

その日は見つからなかったので、日を改めて行ってみたんですけどやっぱりいない。

別のスプレーアーティストに聞いてみたんですけど、どこにいるのか分からないとのこと。

 

僕は1ヶ月ぐらい修行するつもりで、そのアーティストのお手伝いを何でもするから

彼女のスタイルを教えてもらおうと思ってました。

 

ところが、お世話になってた友達宅の事情で長くはいられないことになりました。

早く彼女をみつけないといけない。とりあえず連絡先でもと聞き込みをすることにしました。

 

Las Ramblasでは似顔絵をはじめたくさんのバスカーがいました。

その人たちに写真を見せて片っ端から当たりました。

 

聞けども聞けどもみんな首を横に振る。ここではバスカー同士仲良くないのか?

そう思っていた矢先、彼女を知っているおばちゃんに当たりました。

 

なんと、彼女はここにはいないどころか、母国のアルゼンチンに帰ったとのこと凹○

 

地球の裏側やんけ。

 

正直、この頃には旅に飽きてきてて、

早く終わらせて別のことをしたいと思ってました。

友達の家を早く出ないといけないってなった時

3万円台でアジアまで帰れる飛行機があったんで

アーティストが見つからないのなら

世界一周をフィニッシュさせてやろうかとも考えてました。

 

でも、せっかくここまで来たし、世界一周を達成したかったので

一応聞いてみることにしました。

 

おばちゃんに連絡先を聞いて、

いきなり連絡すると怪しまれて無視されるといけないので

おばちゃんとのツーショットを撮って連絡しました。

 

「日本からスプレーアートをしながら旅をしてます。

あなたに教えてもらいたいのですがお金がありません。

何でもお手伝いしますから教えて頂けませんか?」

とメッセージを送りました。

 

翌日「No Problem!」と返事が来ました!

 

アルゼンチン行き確定です。

 

アルゼンチンのアーティスト

スペインの後は、ポーランド経由でアイスランド→スペインに荷物を取りに戻って

→モロッコ→イギリス→イタリア経由でブラジル→アルゼンチンと移動しました。

世界一周

 

誕生日にアイスランドでオーロラを見たり

サハラ砂漠の満天の星の下で年越しをしたり

人が頭上に降ってきてお尻を骨折したり

この間も色んな体験をしました。

 

お尻の痛みに耐えながらイタリアからブラジルに飛び

2日間に渡る空腹絶倒の大移動の末

無事アルゼンチンのロザリオという田舎町に着き

念願のアーティストに会えました。

 

最初は彼女がバスキングしている所に出向き、

「地球の裏側から訪ねてきてくれるなんて嬉しい!」

と、ウェルカムな雰囲気で色々と見せてくれました。

 

その後、彼女の自宅に招待してくれました。

色々お話をして、

「でSunnyはどんなことを習いたいの?本当は3ヶ月で○○ドルだけど

2週間後には長期旅行に行くからそれまでに特別に集中レッスンしてあげるよ」

 

…あれ?

あれれ?

 

あぁ~…そういうことですか…ってなりましたね。

 

スペインで連絡取ったとき、お金ないけどNo Problemって返事来たから

てっきり無料で教えてもらえると思って来たんですけど

 

現実はそう甘くはなかったですね凹○

 

お金がないと伝えると態度が急変して

「他にやることあって忙しいから、家に来ても教えられるか…」って

 

まぁ当然の結果ですよね。

 

そもそもプロから無償で教えてもらおうってのがおこがましい話なんですけどね。

事前に伝えて、それでもokになっていると思ってただけに

ここまでの苦労を考えるとショックがでかかったですね。

 

ただ、知りたかったテクニックは絵を見ただけでわかったので

目的の8割はクリアしたかなというとこで、収穫はありました。

 

最初は一緒にバスキングライセンスを取りに行ってくれるって言ってたんですけど

家に帰ってから一応どうやって取るかメッセージ送ってみたら返事こなくなりましたね。

 

幸いヘルペックスというサイトを使ってこの街でも宿のスタッフの仕事が見つかったんで

食費しか出費がなかったんですけど、バスキングのライセンスも取れないし

約束の2週間だけ働いてサッサと次のアーティストに会いに行くことにしました。

 

メキシコのアーティスト

アルゼンチンの次は飛行機に乗るために

一度ブラジルに戻ってメキシコまで飛びました。

この時も20時間以上の移動で辛かったんですけど

何より飛行機の時間ギリギリに着いたんでハラハラしましたね。

 

この頃にはもう旅の意欲はなくなっていて

早く世界一周の看板を下ろしたかったんで

アーティストに会うためだけの旅でしたね。

ただ、メキシコのアーティストに会うのが一番苦労しました。

 

ホームページで確認した地図の場所に行っても

それらしきものは出てこない。

近くの人に聞いてもわからない。

 

何人にも何人にも聞いてもわからず、

結局地元の人が車を出して一緒に探してくれることになって

ようやく見つけることができました。

 

宿から歩いて20分ぐらいの場所にあると思っていたのが、

結局出発してから3時間は経ってましたね。

 

 

残念ながらその時はアーティストは不在で、

奥さんが出てきたんですけど翌日に会えるよう約束してくれました。

 

で、翌日晴れてアーティストとご対面して、

運よく仕事の日だったんで現場まで同行させてくれました。

さすが巨匠、やっぱり上手かったですね。

 

で、前2人のアーティストみたいに何か具体的に知りたいテクがあったわけではなく

発想とかソフト面をインストールしたかったんですけど、

そもそも修行したくても翌々日にはアメリカ行きの飛行機をとってしまってました。

 

というのも、メキシコに来る前に巨匠にメッセージを送ったんですけど

返事がなかったんですね。

そこでも正直に「お金ないけど教えて頂きたい」と書いたので

前回みたいにお金がないなら教えないって

無視されたのかもしれないと思ってたんですよ。

 

でもNoという返事が来たわけでもないので、行くだけ行ってみることにして

会えたらラッキーぐらいでに思ってたんで安いチケットを先に買ってしまいました。

 

ただ、彼はいつもYouTubeに作品をアップするんで、

それ見てスキルアップできそうだから、それで良しとすることにしました。

 

それでもとある道具ですごい効果があることを知って新しいアイデアが生まれたので

行ってよかったと思います。

 

まだ日本人でやってる人いないと思うんで楽しみにしててください。

 

世界一周が終わって

世界一周

 

アメリカでは一緒にヨーロッパを旅した友達に会う約束をしてました。

カリフォルニアに住んでるんでロサンゼルスとラスベガスまで連れてってもらって、

そこでスプレーアーティストを見ることができたんでよかったです。

場所が違えばスタイルも違うんで勉強になりましたね。

 

そして僕は無事太平洋を越えて世界一周の看板を下ろしました。

世界一周の看板を下ろしたと表現するのは、旅自体はまだ続ける予定だったからです。

 

ぶっちゃけた話、世界一周は出発当初想像してたのと

比べ物にならないぐらいイージーモードでした。

強くてニューゲーム、みたいな。古いか。

 

と言うのも、とある国でのバスキングが人気すぎて

それ以降の旅の資金をほとんど賄えたからです。

途中からは普通に貯金で旅をしている人と同じ感覚で観光ばかりしてましたね。

なので日本一周のがチャレンジングで刺激的な旅だったなと思います。

 

さっきもお話ししたんですけど、読者を巻き込む旅もしなくなりました。

全体を通して一人でいる時間が多くなかったんで

とてもじゃないですけどブログなりYouTubeなりを更新する暇がなかったですね。

今考えると無茶ですよね。宿で働いて、バスキングして、

観光して、動画撮って、ブログ書いて…

ちょっと欲張りすぎましたね。

 

けど、自分の中の世界一周の軸はブレてなかったです。

・自分を磨くこと

・出店の候補地を見つけること

・俺的三大スプレーアーティストに会うこと

これは全部達成しました。

というか、この“本来の世界一周の動機”があったから

人を巻き込む旅をすることに意識を集中しなかったんだと思います。

 

自分磨きに関してですけど、魅力的な人になったかと聞かれたら

そうではないと思いますね。むしろ悪化したと思いますw

磨きすぎて自分のエゴだけがむき出しになったんじゃないかと。

 

その辺は興味あれば実際に僕に絡んで判断して頂けたらと思いますが。

 

とにかく他は無視して自分の欲望丸出しで世界一周の次にやりたいことができたんで

最後の方は早くゴールしたくて、アーティストに会うためだけに駆け抜けました。

 

ゴールしたときは特に達成感とか感じずに

もう次の目的に意識がむいてましたね。日本一周のときみたいに。

達成した時より、達成が確実になった時のが達成感あるみたいな。

僕の中ではメキシコで巨匠に会ったときが一番達成感ありましたね。

居場所を突き止めることすら苦労したのもあってw

 

だからゴールした時はあっさりしてました。いつもの「ただいまー」みたいな。

世界一周やってみると意外とフツーだったなって。

 

最後にただ一つだけ伝えたいこと

世界一周

 

世界一周に行く前は旅を通じて価値観とか意識がガラッと変わるのかなと思ってました。

何か大事なものを得て帰ってくるのかなって期待してたんですけど

 

僕、読書が好きで、旅に出る前に旅人の書いた本とか読んでいたのと

日本一周で色んな経験をしたのもあって割と想定内のことが起こりましたね。

例えば「日本じゃ当たり前のことが世界では当たり前じゃない」みたいな。

だから日本一周の時に起こった自信や意識の変化みたいなのはなかったですね。

 

その代わりって言ったらアレですけど

 

失いました

 

失ったって言うと語弊があるんですけど

 

余計なものがなくなりました。

シンプルになりましたね、物理的にも心理的にも。

 

 

やりたいことをやりたいときにやりたいだけやる。

 

 

それだけです。

 

たったそれだけのシンプルなことが

今の世の中では複雑な要素が絡み合って

非常に難しくさせてます。

 

恐らくこれを読んでる大半の人は

「会社に行きたくない」

「旅がしたい」

「絵を描きながら自由に暮らしたい」

って思いながらやりたくないことをやらざるを得ない状況にあると思います。

 

でもみなさん、

 

生き長らえるために産まれてきたわけじゃないでしょ

 

やりたいこと、やっていいんですよ

 

故ジョブズ氏が言いました。

「他人の意見で自分の本当の心の声を消してはならない」

 

色んな理由があるとは思いますが、

結局決めてるのは本人なんですよ

 

あなたを止めるのは他でもない、あなた自身です

 

“できるかどうか”じゃないです。

それを“やるかどうか”の判断にはしません。

 

やると決めてからどうやって達成するか考えればいいんです。

 

出来るかどうか分からないことをやると決めてから

方法を考えることではじめて成長しますから。

 

 

まぁ一言で言うと

 

 

いいからやれよ

 

 

ってことですね。

 

 

ご静聴ありがとうございました。



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