スプレーアート日本一周:プロローグ

はい、ようこそいらっしゃいました。

 

2014年の4月1日、僕はスプレーアート日本巡業の旅に出ました。

ここ「世界の路上から」ではその時の回想録を綴っていきたいと思います。

 

詳しい経緯はサラッと語った日本一周の記事に書いてあるんですけど

無一文からスプレーアートとヒッチハイクだけで日本一周

僕の日本一周の旅には挑戦する課題がありました。

その課題とは

カネなしコネなしの社会不適合ニートが、無一文の状態から数ヶ月で培ったスプレーアートの腕とヒッチハイクをする親指だけで旅をしながら、4月1日から3ヶ月で1000枚の絵を道行く人々にお届けする、スーパーチャレンジ企画

という若さ溢れる電波少年的企画でしたね。

 

1000枚達成の自分ルールとして

  • 絵を欲しいと言ってくれた人に描いたものをカウントする。
  • なので何かのお礼やお返し、物々交換は等自分から申し出たものはカウントしない。
  • ただし、お礼でも”自分にも描いて”と言ってくれた人(必要とする人)に描いた分はカウントする。

というルールを設定しました。基本的に値段のついたものをカウントするって感じですね。

 

移動は基本的にヒッチハイク。市内観光とかの小さな移動は公共交通機関を使ってよしとしました。

ルートは東急ハンズのスプレーを使っていたのでハンズのある都市を中心にとりあえず西回りで

実家が三重県なので、桜の季節ってのもあって京都入りを目指してスタートしました。

 

スプレーアートの値段は設定せずに、その人の好きな値段、いわゆる「お気持ち」で売って

ヒッチハイクでの移動も「乗せてあげる」というお気持ちがないと先に進めないんで

「人のお気持ちで旅をする」というテーマでしたね。

 

食事や寝床はスプレーアートからの収入のみで賄うのがルールだったんですけど、

なんだかんだやっていけるだろうと根拠のない自信がありましたね。

それぐらい事前に練習を重ねてたんで。

 

ヒッチハイクもやったことなかったんですけどね。色んな人がやってるんで、自分だけできないハズはないだろうと思ってました。

最初は恥ずかしくて親指を挙げる勇気がなかなか出なかったですけどねw

 

ということで、ヒッチハイク未経験、絵心なしの大画伯ですら努力と勢いで旅ができるということを証明した

日本一周の旅の回想録を少しずつ書き綴っていきます。

 

見てくれた人に何かしら影響を与えられることを祈って…

 

次はこちらスプレーアート日本一周1話目:京都入り



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